五等分の花嫁 最新話 感想 ネタバレ注意
今週の『五等分の花嫁』を読了。
長らく続いてきた「最後の祭りが○○の場合」シリーズもいよいよ大詰め、今回のお話はおそらく個別回最後の一人(風太郎の場合があるかどうかは現状不明ですが)であると思われる五月回の後編です。
ここまでの学園祭編においては、各ヒロインたちが自身の抱える問題を風太郎と関わりながら乗り越えていき、その果てに自分の気持ちを表現する手法として、ヒロインたちから風太郎に「キス」がなされる、という展開が描かれてきました。
ゆえに、ラストバッターの五月もまたここにきてようやく打席に立つのかもしれない。そんな、仄かな期待と様々な推測がここ数週に渡って繰り返し飛び交ってきたわけですが、果たしてその結果はどうだったのか。ラブコメらしく、風太郎との関係性も考えながら見ていきたいと思います。
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第110話:最後の祭りが五月の場合②
さて。そんなわけで今回は五月回の後編です。
前回、突然五月の前に姿を現し、「呪い」だのなんだのと否定的な言葉を並べた挙句に「つまり私は...君のお父さんだ」と衝撃のカミングアウトまでかましてきた実父の無堂さん。
その言動の数々からはどことなく「身勝手」で「乱暴」な価値観が見え隠れしており、「礼節」を重んじるタイプの中野マルオさんとは、どこまでも対照的なお父さん像がそこには提示されていました。
そして、今週の五月と無堂さんの会話により、「お腹にいる子供が五つ子だとわかった途端に行方をくらました」最低最悪の父親であったことが判明した模様で。
なるほど....。
これが仮に真実だとすれば、事情の有無に関わらず常識的・倫理的に考えて「鬼畜の所業」と言わざるを得ないかと思いますが、そんな情けない父親である無堂さんが、
罪滅ぼしをさせてほしい
今からでも父親として娘にできることをしたい
と語り、過去の自分の行為に対して「後悔」があると主張している点は、正直とても引っ掛かるものがありますよね。
ならどうして「五月だけ」にこだわっているのかと。父親として無責任なことをしてしまったと嘆くのであれば、当然「五人全員」に対してきちんと謝罪をするべきでしょう。その時点で彼の行動は道理に合っていない。
ゆえに、無堂さんがどれだけ最もらしい言葉を並べ立てようとも、読者からすれば「何か別の思惑」があってこんなパフォーマンスをしているのではないかと思えてなりません。
五月の「進路」について心配をしている。それが仮に真実であろうとなかろうと、まず「父親」として果たさなくてはならない行動がもっと他にあるはずです。「父親として到底見過ごすことができない」「君たちへの"愛"が僕を突き動かした」などと言われても、あまりにも説得力が薄く一方的な言葉としか映らないのは、ひとえにそんな彼の非常識さ・不誠実さが強調されているからなのかなと思う次第でありました。
父親としての「愛」
その証拠に、そんな自らの「不誠実さ」を棚に上げて、「やはり血の繋がりが親子には必要不可欠」と宣い、いきなり養父マルオさんのことをディスり始める始末ですからね....。
お母さんが死んだ時 彼が君に何をしてくれた?
という無堂さんの台詞。
もはや、そっくりそのままブーメランを飛ばされでもしたら「こうかはばつぐんだ」で一発KOレベルの発言でしょう。
ずっと実の子供を放ったらかしにしてきた身分で、自分の代わりに五つ子たちを(不器用な関係性の中ではあっても)見守り不自由ない生活を保証してくれていたマルオのことを「父親として不合格」と評する。どちらが「父親として」、いえ「人として」不適格な存在なのか一目瞭然です。
零奈さんが無堂との結婚に「後悔」を抱きながらも、マルオに惹かれ大切な五つ子たちを託した理由。その意味を考えれば、マルオがいかに「誠実」で「信頼」に足る人物であるのかわかるというものなのですから。
男の人はもっと 見極めて選ばないといけません
と実感を込めて語っていた零奈さんが、中野マルオを「特別な男の人」として選んだこと。
それは、たとえ不器用ではあっても、彼が確りと「愛」を示してくれる人だったからではないか。空虚で口任せな「愛」を騙り、無責任な言動と行動を繰り返す無堂さんとは真逆な人だったからではないか。
無堂さんとマルオの人物像の対比からは、そのような推察が成り立つのかなと個人的には思いました。
中野五月が信じる道
そして、そんな背景の中でもう一つ大きなポイントとなるのが、五月の背中を押す風太郎の姿から「誠実さ」や「愛」がひしひしと伝わってきた事ですよね。
あなたは私のようには
絶対にならないでください
というお母さんの言葉を思い出して自分の道を見失いかけていた五月。
先週の感想でも書いた通り、零奈さんの言う後悔とは「教師になったこと」ではなく「無堂さんと結婚をしたこと」を指していると思われるので、その観点において「私のようにならないで」=「教師を目指さないで」にはならなさそうですが、しかしいずれにせよ今この状況で何よりも一番大切なことは、「五月自身が一体何を望んでいるのか」、この一点でした。
憧れのお母さんのようになりたい。それもまた立派に「五月の気持ち」です。役割としての母親代わりを目指すのではなく、誰よりも憧れ自分もああなりたいと思うからこそ、母の背中を追い掛ける。
それは、風太郎が熱弁している通り「絶対に間違いじゃない」はずです。
そもそも「自分の夢」である以上「他人」から何を言われようが元より関係などないわけですから。進むも諦めるも自分次第。そう思えることが重要で、そんな揺るがない心の持ち方を指して、人は『信念』という言葉を使うのかもしれません。
その道が正しくても、間違っていても。それを決めるのはいつだって自分で、だからこそ自身の想いを信じ抜く。なりたい自分と進みたい道。ずっと抱えてきた色んな葛藤に整理をつけ、改めて五月はその胸の内にある「夢」を大きな声で宣言する。
そんな彼女の想いに触れ、
生徒が願うなら家庭教師の俺にできることは一つだけ
全力でサポートする それだけだ
と語る風太郎がまた物語の主人公としても一人の男としても最高にカッコ良く見えて本当に素晴らしかったなと。
五月の「夢」を呪いと言い切って否定した特別講師の無堂さんに対し、五月の「夢」にきちんと寄り添い全力でサポートすることを誓った家庭教師の風太郎。
そんな異なる教師たちとのやり取りを経て、
初めて出会った時に語られたその言葉が再び五月からもたらされる。
朱に染まった五月の表情も「勿論だ」と返す風太郎の想いも。どちらも1年前にはなく、改めてこのような形で仕切り直しが描かれたこと。まさに集大成と呼ぶに相応しい見事なストーリー展開だったと思います。
風太郎の進路と恋の行方について
一方、今回個人的にとても気になったのが風太郎がさらっと言い放った以下の発言。
マジで大変だったぜ 俺はもうこりごりだ
教師なんて絶対になるもんじゃない
この台詞をそのままに解釈すると、少なくとも現段階において風太郎の目指している進路が「教師」ではないと読めます。
全国模試で一桁順位を取れるレベルの学力があればそれこそ自分の気持ち一つで色々な進路を模索できるでしょうに、高3の10月まで物語が進んできた今でもなお、風太郎の「やりたいこと」に関する言及が作中では全くなされていないという現実。
家庭教師としての風太郎の魅力が再提示されていたとはいえ、他ならぬ風太郎自身が「教師なんて絶対になるもんじゃない」と言っている以上おそらく教師エンドではないのでしょうし、一体風太郎の「やりたいこと」とは何なのか。
風太郎の進路を不明瞭にしたままお話が展開されている理由も気になりますし、恋愛エピソードに交えてこのあたりを春場先生がどのように描いてくれるのか、より一層注目していきたいなと思う次第でした。
もう一つ。
今回「夢」に対する気持ちを再定義することになった五月さんでしたが、その実、姉4人とは異なり「キスの描写」がありませんでした。
まぁ、現状の五月が風太郎にキスをする必然性は薄く、同様に風太郎が五月にキスをする妥当性もなかったわけですが、それでも「五月だけ」がキスをしていないというこの状況は、否が応でも特別感を感じてしまうものではないでしょうか。
これから描かれる予定なのか、あるいはもう既にキスをしているということなのか。有体に言って、そんな二択であっても全く不思議はありません。
しかも今回の「五月の場合②」でエピソードは完全解決に至らず、おそらく「五つ子たち全員」で無堂さんに対峙するのだろうと思われるこの展開。
順当に考えて、5人が主体となって無堂さんを退け、現在の養父であるマルオも含めて今一度「家族」としての繋がりが取りあげられていくのでしょうけれど、その後に控えているのが「キャンプファイヤー」と「風太郎からの告白」のツーセットですからね。
・五月の「信頼」が「恋心」に変わるのか
・風太郎の「進路」はどうなるのか
の2点が描写されぬまま「恋愛の結末」が開示されるとは思えませんが、「誰も選ばない」という結論を語るのみで幕引きということもありえないでしょうから、全体視点で三日目に突入していくであろう次週以降の展開は本当に期待大だなと。
実父問題の完全決着、五月からのキス、そして...風太郎の気持ち。学園祭編でどこまで描かれるのか。期待値500%でここから先の物語を楽しみに待ちたいと思います!
※本記事にて掲載されている情報物は「『五等分の花嫁』/春場ねぎ/週刊少年マガジン」より引用しております。