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『天気の子』感想:2人が選んだ未来と愛にできること!雨降る世界で帆高と陽菜さんは"何を乗り越えた"のか

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『天気の子』 感想

『天気の子』 感想考察 ネタバレ注意

 

先日放映が開始された、新海誠監督の最新作『天気の子』を観てきました。

 

前作の『君の名は。』からおよそ3年が経ち、ようやく新海監督の作品が再び観られる...!という強い期待感と高揚感を持って劇場に足を運んでいたのですが、もう期待以上というか何というか、視聴後はひたすらに「ありがとうございます.....」と叫び倒したくなるくらいの感動が胸に押し寄せていました。

 

なので、今の気持ちを少しでも書き残しておきたいと思い、今回は珍しく映画のレビューという形で筆を取った次第です。完全に観た人向けの感想として書いていくため、まだ未視聴の方は十分にお気を付けくださいね。

 

 

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『天気の子』感想:天気を操る少女と家出少年のラブストーリー

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舞台は雨降る現代の東京

 

さて。

 

本作『天気の子』は、離島からの家出少年である森嶋帆高が、東京にやってくる場面から物語が始まります。

 

行く宛もなく、困窮と孤独な日々を繰り返していた帆高の今後を示唆するかのように、連日降り続ける雨。ネットカフェ暮らしも限界を迎え、途中の船で出会った弱小編集プロダクションの社長・須賀圭介を頼ることにしますが、そこで手に入れた仕事はなんと、怪しげなオカルト雑誌のライター業でした。

 

一時的にでも居場所を手に出来たこと。そこに感謝の念こそあれど、停滞する毎日となおも止むことのない雨がやはりそこにはある。「この場所から出たくて、あの光に入りたくて...」という想いを抱えていた帆高の心には未だ、雨が降り続いたままだったのです。

 

 

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100%の晴れ女

 

が、とある夏の日、天気を晴れにする事の出来る少女・天野陽菜さんと出会うことで彼の心には少しずつ「晴れ間」が差し込んでいくのですね。

 

「天気って不思議だ。ただの空模様にこんなにも気持ちを動かされてしまう。」

「心を、陽菜さんに動かされてしまう」

 

そんな彼の心情は上記の台詞で表現されている通り。

 

「空模様に気持ちを動かされる=陽菜さんに心を動かされる」という図式が示すものはつまり、帆高にとって陽菜さんの存在そのものが光(=太陽・晴れ)になっていったということ。そして、対する陽菜さんもまた、帆高との出会いを通して、自分の中に「人を笑顔にする力」がある事を知っていきます。

 

「晴れ女」としての役割、広がっていく青空。「雨が降り続ける東京(=帆高が物語の序盤で繰り返し呟いていた「東京って怖ぇ...」の台詞が仄めかすように、この"雨"は現代日本に対する風刺的な側面も感じられる...)」という場所で、帆高と陽菜さんは徐々に自分達の居場所を手に入れようとしていました。

 

 

 

陽菜さんに課せられた運命と帆高が守りたいもの

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晴れ女に課せられた運命

 

しかし、物語の中盤~終盤にかけて、「晴れ女」の能力を使い過ぎると人柱として消え去ることになる...というあまりにも残酷な運命が判明します。

 

降り続ける雨を止める為には晴れ女である陽菜さんが犠牲にならなくてはならない。

 

「私 知らなかった 

 青空がほしい人がこんなにたくさんいるなんて」

 「帆高はさ、この雨が止んでほしいって思う?」

 

そういった状況に対して彼女が強い葛藤を抱いていたのはやはり、それまでの「晴れ女」の活動を通して、青空を望んでいる人達がたくさんいる事実を実感してしまったからなんですよね。

 

だからこそ、東京で記録的豪雨が観測されたあの日、彼女は全てを背負って消える事を選ぶ。その選択は確かに、

 

「もう大人になれよ、少年」

 

....と須賀が語っていたように、ひどく"大人"な決断(=社会規範的選択)と言えるのだと思います。

 

少数派の意見と最大多数の最大幸福を天秤にかけた時、見て見ぬふりをして──あるいは気付かないふりをして──後者を選択するのが大人であり社会ですから。残念な事に、実際に当事者にならないと人間が本当に大切なことにも気付けない生き物であるという「現実」は皆さんも存分に御認識されている通りでしょう。

 

ゆえに、当事者として大切な人を救いたい一心で走り出す帆高と、「残酷な現実」に信念を曲げられてしまっていた須賀(=過去の自分と似ている帆高を放っておけないのが須賀ですね)の2人が、『世の中』の不条理に立ち向かって抗おうとする姿に僕らは強烈なドラマを観る事ができる。

 

 

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愛にできること、僕にできること

 

 

そして、それらのシーンには確かに、僕には何が出来るのか、愛には何が出来るのか...というメッセージが表現されていて、同時に「人々に笑顔(=晴れ)を与える」という役割を背負い込んでいた少女に「自分がここにいていい理由(=光)」をもたらすことにも繋がるのですよね。

 

「必要としてくれる人」「愛してくれる人」「自分の名前を呼んでくれる人」。たとえ雨が降り続く不完全な世の中だったとしても、愛する人(=光・太陽)と一緒なら"乗り越えていける"。『天気の子』というラブストーリーを通じて新海監督が伝えたかったものは、ひとえにそういう想いだったのだろうと思います。

 

 

 

英題"Weathering With You"に込められた意味と世界の形

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世界の形と大切な人への愛

 

また、そんな風に物語を咀嚼していくと、"Weathering With You"という英題が本質的に何を示唆しているのか...という点も少し興味深い所でしょうか。

 

 

『Weather』という気象を表す言葉を使いたくて。これには嵐とか風雪とか、何か困難を乗り越えるという意味も含まれるんです。映画は何か大きなものを"乗り越える物語"でもあるので付けました。

新海誠、新作「天気の子」企画のヒントは真夏に見上げた積乱雲- 映画ナタリー

 

というのも、新海監督自身が既に公表されている通り、英単語「Weather」には「①天気」と「②(何かを)乗り越える」の2つの意味が含まれているんですよね。

 

そして、実際にそのダブルミーニングが作中のストーリーを表現しているという点に関しても、上記のコメントが示している通り。....が、その実、「誰が(主語)」と「何を(目的語)」の部分についてはそれぞれに解釈が分かれる部分として描かれているように思えました。

 

 

 

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2人が選んだ未来と世界の形

 

本作『天気の子』の物語は、陽菜さんを人柱にして天候を取り戻すのか、あるいは、陽菜さんを救い出して東京を雨の降り続ける街とするのか、その二者択一を突きつけられた帆高が後者を──つまりは陽菜さんと共に生きていく未来を──選んだ事で一つの結末を迎えたわけですが、そこから3年の歳月が経ち、水没する東京の風景に責任を感じる帆高(「セカイの形を決定的に変えてしまったんだ」)に対して、人一人に世界が変えられるはずも無く、元の在り方に戻っただけで責任を感じる必要はないと、とある人物が伝えているシーンが描かれます。

 

とすれば、新海監督が描いた今回の結末には、世界の運命を背負ったヒロイン・主人公の姿を描いた物語に対し、そんなものを彼・彼女らだけに背負わせるのは果たして正しいのかという視点も込められているわけですよね。

 

 

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1人1人が願う未来、乗り越えていく世界

 

世界の運命(=形)にどう立ち向かいどう背負っていくのかという命題は当然、その世界に暮らす人全員が取り組むべきもので、これから『現実』(=雨)を乗り越えていかなくてはならないのは、何も帆高と陽菜さんの2人だけに限ったお話ではない。

 

だからこそ、 "Weathering With You"という英題には「貴方と共に困難を乗り越える」以上の意味、「全員が共に困難を乗り越えていく」という示唆も内包されている。そんな風に解釈することも出来るのではないかと思います。

 

 

 

君の名は。』と『天気の子』

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天気の子がもたらしてくれたもの

 

そういったわけで、最後に全体のアウトラインについて見ていくと「前作の物語性を受け継ぎながら最終的には全く逆の結論を導き出した物語」だったというのが『天気の子』に対する率直な私見ですね。

 

前作が「自身の記憶と引き換えに一つの村(=大切な人をも含む全て)を救った物語」ならば、今作は「世界の在り方と引き換えに大切な人を救い出す物語」。スケールの大きさや2人が成し遂げ乗り越えて見せたモノの規模を見比べた時、人によっては前者の方がインパクトがあると感じる方もいらっしゃるのかもしれません。

 

でも、決して単純な比較だけでは収まり切れない結末(=テーマ性・主張)を示してくれた『天気の子』は、歴史的な大ヒットを飾った前作『君の名は。』に続く作品としても、また一つのエンタメフィルム作品としても大変に素晴らしい好作であったと、僕は心から思っています。

 

下を向きたくなるような雨の日にこそ思い出したい本作。息詰まる現実に立ち向かいながら、それでも空を見上げ強く生きていく帆高と陽菜さんの姿を今一度劇場に観に行きたい。そんな余韻に浸らせてくれる、とても素敵な物語でした。新海誠監督にありったけの感謝を。幾分気が早いですが、次回作にも期待しております。

 


 ※本記事にて掲載されている情報物は「「『天気の子』制作委員会」/新海誠監督」より引用しております。