ふわふわな日記

映画『五等分の花嫁』感想:過去と今、そして繋いだ未来のその先へ

映画『五等分の花嫁』 感想

映画 五等分の花嫁 感想 ネタバレ注意

大変ご無沙汰しております。

 

ここ最近ブログの更新が出来ずにいたのですが、今日は待ちに待った『五等分の花嫁』の映画を観に行ってきたので、少しでも今の気持ちをブログに綴っておこうと思い、こうして急遽筆を執ることにしました。

 

なんというか、まずは本当に「懐かしいなぁ...」っていう気持ちで一杯です。毎週水曜日になると『五等分の花嫁』が読みたくなって、毎週続きが気になってドキドキワクワクして、読み終わった後は感想を書いたり一日中余韻に浸ったりする。そんなあの頃の感覚がなんだか鮮明に蘇ってくるようで。

 

連載が終わってからのおよそ2年間、時間を忘れるくらい色々なことがあったはずなのに、それでも『五等分の花嫁』を毎週楽しみに読んでいたあの頃の思い出が消えることはないんだなと、この作品と共に駆け抜けた日々はいつまでも胸の中に残り続けていくんだろうなと、改めてそんなことを再確認できた映画になってくれていたと思います。

 

既に細かい内容は原作のレビューで書いていますので大枠の簡易的な感想になりますが、以下、今回の劇場版の内容に触れつつ今の気持ちを書いてまいりますので、是非劇場で視聴を済ませてからお読みいただければ幸いです。

 

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映画『五等分の花嫁』を観て感じたこと

 


 

さて。今回の映画では、原作でも最終盤と言える学園祭をメインに据えた「第11巻~第14巻」の内容がベースとなって物語が構成されていました。尺の都合で一部カットされた部分がありつつも大筋に変更点はなく、とても上手い具合に最終話までのお話が描かれていましたよね。

 

 

映画で改めて物語に触れて感じたことは、やはりこの作品の根幹は「過去と今と未来を巡る」物語だったということ。

 

このブログでは連載初期から繰り返し書いてきたテーマではありますが、自分の苦手やコンプレックスを乗り越え成長を遂げていく過程には、いつだって「過去」と「今」の対比がつきまといます。できないことができるようになったり、逃げていたことに向き合ったり。この過程には必ず対象となる「過去」があったわけですね。

 

 

そして、このテーマの"渦中"にあったのが四葉ちゃんと風太郎の二人です。

 

もちろん6人全員にドラマと成長があったことは殊更言うまでもなく、「〇〇の場合」という形式で個別に物語が展開されていたこともその裏付けであってそこに優劣などありません。

 

一花さんも二乃も三玖も五月も葛藤と不安を打ち破って成長し、風太郎との出会いを通じて人間的にもひとりの女性としても見違えるほど魅力的になった。原作1巻の頃と見比べればその事実をひしひしと感じますし、その点については今までにもブログで書いてきたとおりです。読者それぞれの読み方によって個々に印象深いエピソードもきっとあることでしょう。

 

四葉ちゃんエンドについて(©春場ねぎ・講談社/映画「五等分の花嫁」製作委員会)

 

とはいえ、対象となる「過去」をそれぞれ掘り下げていった時、その枷の重さをより深刻視していたのはやはり四葉ちゃんだったわけですよね。

 

なぜなら彼女は過去に大きな失敗を経験し、そのことがきっかけで自分だけではなく姉妹4人にも迷惑をかけてしまった(と彼女は思い続けてきた)経緯があるから。彼女にとっては一人分ではなかった。姉妹によって助けられ、姉妹のために生きようと決めたあの日から、四人分の重さもそこにはあったのです。

 

だからこそですよね。彼女の枷や負い目を解き放つことは、「姉妹」「家族」というテーマを含む本作において非常に重要なことだった。風太郎のことを想いつつも、姉妹を立てるために身を引く。それは決して『五等分』とは言えないから。誰もそんなことを望んでなどいなかったからです。

 

そんな四葉ちゃんの相反する感情は、「過去」を象徴する風太郎の幼なじみ・竹林さんの登場からも読み取れます。過去の風太郎を知り、彼に勉強を教えていたという存在が現れたことで、彼女の気持ちは揺らいでいく。思わず漏れ出た「私の方が上杉さんのこと...」という感情の発露は、彼女が「過去」の思い出に縛られていることの証左でした。

 

ゆえに僕は、四葉ちゃんが「過去の思い出」を振り切って今の自分を肯定していこうと歩みを進める決意のシーンを見た時、心が強く揺さぶられたんです。

 

もう君との思い出に頼らない

自分で自分の価値を探していくよ

 

過去と今と未来はいつだって地続きでその思い出がなくなることは決してない。本当に大切なものはいつまでも大切なままだから。それはそれできっと間違ってはいないのです。

 

でも、風太郎が七つのさよならを通して「昔のことより大切なのは今だろ」と気付いたように、四葉ちゃんもあの日の思い出をちゃんと昇華して、今...そして未来に向かって前向きにその想いを連れて行かないといけない。だって、それが彼女にとってのスタートラインになるから。そう思わされたからです。

 

もちろん『五等分の花嫁』には「思い出の子を五つ子の中から見つける」というミステリー的楽しみが提示されていたことは間違いありません。作者の春場ねぎ先生のインタビューでも触れられていましたし、僕もその要素を楽しんで読んでいましたから。作品を大いに盛り上げてくれた要素であることは言うまでもないでしょう。

 

でも、七つのさよならで「過去」に縛られる生き方からさよならをした風太郎と学園祭で思い出を昇華した四葉ちゃんの姿を描いたことで、「思い出の子を五つ子の中から見つける」というミステリーが主題にあるのではなく、「高校2年生の時に出会った五つ子の中から花嫁となる女性を風太郎が見出す」ことに物語の帰結があるとわかったんですよね。

 

始まりはまさしく運命だった。京都で風太郎に出会い、その後「特別」になろうと失敗して転校を余儀なくされた結果、その転校先で5年ぶりに運命の再会を果たす。風太郎との出会いで姉妹一人一人が成長を遂げていったことを考えれば四葉ちゃんの失敗もまた全員にとって意味のあるものであったし、無駄なことは何もなかった。

 

そうして再会し、学校生活を共にし、林間学校、家族旅行に修学旅行、そして学園祭。色々なイベントをこなしながら二度ない毎日を歩んできて、風太郎は「今」の四葉ちゃんに恋をした。

 

つまりは、過去に出会っていた子が誰であるかという点に目を向けることを辞め、今の出会いに運命的な意味を見出したわけです。だって過去がどうであれ、今ここにいる自分の気持ち、6人の関係がどこまでいっても全てだったからです。

 

もちろん、四葉ちゃん視点で見れば、風太郎に対する好意に関して過去の出来事が起因している部分は少なからずあるんだと思います。でもそれも含めて、「今」の彼女の気持ちがそういうものだったのだから、それは彼女の「今」だと僕は思ってます。過去がどうであれ、風太郎の力になりたいと思って彼を支え続けてきたのは他でもなく、再会を果たした後の彼女なのですから。

 

 

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そういう意味において、僕は四葉ちゃんENDにとても納得がいっていますし、心から素晴らしい結末だったと思っています。物語を外側からメタ的に読んだ場合と、登場人物の心情を追って内側から読んだ場合で多少感じ方は変わるかもしれませんが、映画を見て改めてそう感じた次第です。

 

 

個人的に印象深いポイント

 

 

最後に何点か言及しておきたいなと思ったポイントを。

 

一花さん可愛かった(©春場ねぎ・講談社/映画「五等分の花嫁」製作委員会)

 

原作の頃から大好きだったのですが、一時的に「誰も選ばない」という回答をしていた風太郎に対し、一花さんが「そういう素直な気持ちを大切にしなよ だから誰も選ばないなんて言わないで」と告げるシーン。

 

あそこ、映画で見ていても「一花さん大好きだ―!」ってなる個人的ツボなポイントでした。風太郎が素直な気持ちを以て答えと向き合おうと決意した一要因でもあったと思いますし、花澤香菜さんの可愛いさとお姉さん感の同居したボイスであのシーンが見れて本当に嬉しかったです。その後のキスもよかった。感謝感激!

 

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もう一つ。原作を読んでいた頃から言語化が不十分だったかなと感じていた部分でもありますが、五月の存在って恋愛軸で見た時どういう位置づけなのかなっていう点。

 

ここに関しては色々思うところがある方も多いんだと思います。特に五月推しだった方には。要所要所で風太郎との関わりの深さが描かれていながらも、恋愛軸という意味においては、他ヒロインと比べて見せ場が少なかったことは確かに否めませんので。

 

<長編のエピソード(恋愛軸)>

花火大会:一花さん

林間学校:全員

七つのさよなら:二乃

最後の試験:個別エピソード①

家族旅行:三玖

シスターズウォー:一花さん・二乃・三玖

過去編:四葉ちゃん

学園祭:個別エピソード②

 

とはいえ、好意的に解釈をするのならそれが五月のスペシャリテでもあったのかなと個人的には思う面もあります。

 

 

五月のスペシャリティ(©春場ねぎ・講談社/映画「五等分の花嫁」製作委員会)

 

映画では尺の都合で原作ほどフィーチャーされてなかった点が多少残念(今回の映画で言えばここくらいですかねちょっと残念だったのは)ではありましたが、五月が風太郎に対する淡い気持ちを自覚したのは、風太郎と四葉ちゃんが両想いであるとわかった後から。

 

その理由はおそらく、彼女が恋愛感情というものを実感として理解できていなかったという点が一つと、中野家の父親になると言っていた風太郎と対になるように、五月というヒロインが「母親役」のポジションだったからというのもあるのかもしれません。

 

つまりは、恋愛という側面ではなく頼れる人という意味での"親愛"として風太郎に好意を持っていた彼女が、晴れて両想いの関係になった四葉ちゃんと風太郎の姿を見たことで、自分の奥底にある好意の源泉が恋に根差していたと気付くに至る........。という感じなのかなと。

 

その点において五月が風太郎に想いを打ち明けず、恋愛に疎かった彼女が自分の心情を理解したこと、気付きを得たことでより一層精神的に大人に近づけたという事実には、一種の合理性があったとは思います。

 

まぁ、そうは言ってももっと恋愛的要素で感情を動かす五月の姿が見たかったって意見があることも同意はできますので、五月の立ち位置については各々思う部分があっても良いところなのかなと。読み手の好みにもよってくる部分だとも思いますし。

 

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そんなこんなで本当に最後にはなりますが、総じて原作最終回を読んだ時と気持ちは変わらず、最高の映画だったと思います。

 

この作品と共に駆け抜けてきた日々、楽しかった思い出、全部全部未来に繋いでまた今日から前を向いて歩いていきたいですね。夢のような楽しい日々を本当にありがとうございました!

 


 ※本記事にて掲載されている情報物は「『五等分の花嫁』/春場ねぎ/週刊少年マガジン」より引用しております。

刻んだ敗北と聖夜の誓いーー『ラブライブ!スーパースター!!』第12話 感想

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#12 song for all

 

この1本のエピソードの中には、「ラブライブ!スーパースター!!」という物語の始まりと、始まりからの変化をほのめかす描写がたくさん詰まっていました。

 

2つに分断されていた学校が1つの目的に向けて動き始めたこと。植え込みに隠れて独り描いていた千砂都の丸が今や綺麗な五輪を形作っていること。他にもありますよね。この1年の間には本当に色々なことがあった。彼女たちを取り巻く状況の変化が、その事実を雄弁に物語っています。

 

 

 

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もう大丈夫(第12話より)

 

中でも特筆すべき点はやはり、外界を遮断するために用いていたヘッドホンからかのんが卒業を果たしたシーンでしょうか。

 

桜咲く4月の入学式、あの日に可可と出会えていなかったらきっと今の前向きな気持ちを取り戻すことは出来なかった。大切な仲間たちに出会い、再びステージで歌を歌うことも出来なかったと思う。

 

だからこそ、かのんは「私...この学校でよかった...!」と笑顔で語っています。一人で歌えるようになったことも、かつての自分を取り戻せたことも、みんなとの出会いがあったから。すべてが繋がっていて、無関係じゃない。ラブライブ!の東京大会を目前に控え、かのんは「今の自分の気持ち」「今の自分がいる場所への感謝」を再確認していました。

 

 

<前回のラブライブ!スーパースター!!>

 

 

12話(最終話):song for all

 

そんな一つの集大成、一つの区切りとなる今回のお話の中で、しかし一つの問題提起が物語の中盤で差し込まれることになります。

 

それがかのんの口から飛び出した「私は... 歌で勝ったり...負けたりってあんまり...」という台詞。彼女とメンバーの間にあるぼんやりとしたギャップがここで朧気ながらに表現されています。

 

 

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かのんの想い(第12話より)

 

無論、このかのんの気持ちは理解できる話ではあると思います。「自由に歌を歌うこと」を第一としてきたかのんにとって、"勝利"はどこか副次的なものでやはり至上命題ではなかったから。「頑張った分だけできるようになっていくのって楽しいなって思って...」という気持ちを歌で表現すること。これがかのんの願いであり喜びだったからです。

 

勝つことで真に何が得られるのか、あるいは負けることでどんな感情が自身に芽生えるのか。つまるところ、これまで自分の内側と対峙してきたかのんには、実体験として誰かと競い合うことの実感がこの時にはまだ湧いていなかったのでしょう。

 

ゆえに、どこか勝ちに貪欲になりきれていない自分が出てくる。もちろん、こういう楽しみ方が間違っているわけではありません。サニーパッションの聖澤悠奈も同意している通り、想いや考えは人それぞれ。自分の中で完結しているのであれば、それもまた立派に一つの道ではあるはずですから。

 

 

 

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なぜ勝ちたいのか(第12話より)

大丈夫 ラブライブで歌えば すぐ気づくはずよ 

なぜみんな勝ちたいか 勝たなきゃって思うのか

 

しかしそうした前提の上でなお語られたのが、この柊魔央の力強い台詞。この揺るぎない言葉の中に、彼女たちが「東京都代表」としてトップに立ち続けてきた理由が隠されていたのです。

 

 

なぜ勝ちたいのか

 

ラブライブ!」東京大会当日。色々な事を経験し、また色々なものを取り戻せたこの一年の結実を表現するステージを作ってくれたのが、結ヶ丘の生徒たちでした。

 

体育館がステージだと思っていたかのんですから、学校の外に飛び出すことはおろか、街全体を巻き込んでの舞台になるとはきっと想像さえしていなかったことでしょう。

 

自分一人ではできなかったこともこの5人でなら、5人でできなかったこともこの学校の「みんな」となら。そのつながりの心強さ、学校と共に進む"スクール"アイドルの在り方を再確認したかのんは、一人ひとりに宿る灯火が輝きを生むこの景色を前に、「みんなへの感謝」を感じています。

 

 

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スクールアイドルとみんな(第12話より)

 

一方、学校のみんなもまた「自分たちも何かをしたい」という思いを抱いてここに集まっていました。

 

もちろん最初からそうだったわけではありません。音楽科と普通科に分かれていた生徒たちが「Liella!」を軸にまとまり、今や街一つ巻き込むほどの熱量で手を取り合っている。これはひとえに「Liella!」という存在にみんなが希望を見出しているから、彼女たちが懸命に走ってきたことを知っているからですよね。

 

同じ学校の生徒が、自分のやりたいことを全力で追いかけている姿。その姿に、「そばにいる人」「応援する人」は勇気をもらい、自分も何かしたいと思い始める。中にはいずれ自分の夢を追いかける人が出てくるのやもしれません。

 

そしてそんな周囲の人の姿に、スクールアイドルもまたパワーをもらっている。スクールアイドルから「みんな」へ。「みんな」からスクールアイドルへ。この関係性が、シリーズを越えて受け継がれてきたスクールアイドルの文化、「ラブライブ!」の文化なのです。

 

 

 

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2位という現実(第12話より)

 

だからこそこんなにも、こんなにも悔しいのだと思います。

 

「みんな」に支えられてやりきった最高の舞台。かつての自分を取り戻し、私達5人だけでは決して掴めなかった輝けるステージに「みんな」が導いてくれた。5色のカラーが空を目指して伸びていく"Starlight Prologue"の演出は、高みを目指す「Liella!」を表してもいたのかもしれません。

 

それなのに、それでもなおサニーパッションには勝つことができなかった。ここに至るまでに関わってくれたすべての人が見守る中、「Liella!」が手に入れたのは2位という結末。その現実を突きつけられた瞬間のかのんの表情には、溢れんばかりの悔しさが滲み出ていました。

 

聖夜の誓い

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なぜ勝ちたいのか(第12話より)

そして同時にかのんはようやくここで、自分の中に眠る一つの感情に気付きます。「なぜ勝ちたいのか」「勝たなきゃ」って思うのか。

 

島全体を背負い、島のみんなに支えられて「ラブライブ!」に出場しているサニーパッション。彼女たちもまた、かのんたちが見た景色を知っている者として、かのんの胸に湧き上がるこの感情の正体を知っていました。

 

『受け取ったものを 何も返せなかった』こと。かのんにとってはそのことが何よりも辛いことだったのです。地域に、学校に、みんなに支えられて挑んだ結果の負けだからこそ、その期待に答えられなかったことが悔しくてならない。

 

 

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刻んだ敗北と流した涙(第12話より)

 

ゆえに、このままでは終われない。言い訳も強がりも言わず、ただありのままに「悔しい」「勝ちたい」と感情を吐露できるのはそれだけ本気だったことの証なのです。

 

そんなかのんの感情に共鳴して、ずっと彼女の第一声を気にしていた千砂都が、「私は最初からそのつもり」と述べていたのも印象的。この"負けん気"が人を強くすること、更に人を高みへと押し上げることを、既に一つの頂点を見てきた彼女はよく知っているのでしょう。

 

だからこそ、この敗北はきっと『勝利よりもずっと意味のある敗北』になる。歌を競うことの意味、ライバルと高め合う価値。なぜスクールアイドルが「ラブライブ!」に出て、「勝ちたい」と思うのか。

 

今ならわかる。その真実を心底実感させられた「Liella!」の5人は、雪の降る聖夜の原宿で未来への決意を、来るべきリベンジを誓います。もう絶対に負けない。貰ったもの。背負ったもの。周囲の期待に応えられない辛さを受け止め、周囲の期待に足りる自分たちになるための闘いが今ここから幕を開けたのです。

 

 

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Prologueのその先へ(第12話より)

 

そして時は巡り、場面は再び春の物語へ。残念ながら物語は一度ここで幕を閉じますが、彼女たちの「ラブライブ!」が本当の意味で始まるのはきっとここから。それが「ラブライブ!スーパースター!!」が1クールをかけて描いてきた結論だと感じていますし、またそうであってほしいと心から思います。

 

競い、高め合った先にある"勝利"を求めて。負ければこそ鮮明になった目標を目指し、彼女たちの青春がどう輝いていくのか。どうしたって見守らずにはいられません。新しいスタートを切った「Liella!」の物語。ここから続いていく青春に注目しております。

 

 

最後に

 

最後に簡単な総評というか独り言を。

 

簡潔に言って「本当に大好きな物語」でした。もう本当にこれに尽きますね。「ラブライブ!」を牽引していく主役として澁谷かのんにどれだけの強さと弱さがあり、あるいはどんな願いを掲げて、勝たなければいけない理由を見出していくのか。主人公にとことんフォーカスをすることで、作中で一年、全12話の物語の中でそういうモノを積み上げてくれたシリーズだと感じています。

 

メンバー全員を一年生としたこと、それがゆえに1クールを使い切って「スタートの物語」としたこと。

 

色々な試みが検討されただろう中で、勝つことよりも意味のある敗北を土台として次に繋げていく作りは、先行作が出した答えに甘えず、「Liella!」だけの物語を追求していく姿勢に見えて本当に好印象でした。

 

あと、可可の帰国にまつわる事情をここであえてオープンにしなかったことは物語として正解だったようにも思います。澁谷かのんがなぜ「勝ちたい」と思うのか、その源泉を湧き上がる悔しさと定義するのなら、それ以外の外的要因は雑味になりかねなかったとも思いますので。この点は2期でどのように扱われるか期待しておきましょう。

 

兎にも角にも、これで続かなかったらもうそれは嘘だよ...!(笑)という引きであることも事実ですが、ひとまずの区切りということで、本当に制作スタッフの皆様お疲れさまでした。またこうして感想が書ける日を楽しみにしております。



嵐千砂都の夢と澁谷かのんの原点ーー『ラブライブ!スーパースター!!』第11話 感想

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#11 もう一度、あの場所で

 

ここまで本作を見てきた方はご存じの通り、『ラブライブ!スーパースター!!』という物語には作品を貫く一つのコンセプトがあります。

 

それが『私を叶える物語』。それぞれが個々に叶えたい夢を持ち、その夢を実現させるための場所として「Liella!」というチームが成り立っている。「歌でみんなを笑顔にする」という夢を掲げるかのんもまた、大好きな"歌"ともう一度向き合うためにスクールアイドルの門を叩きました。

 

あれからいくつかの月日が流れ、すみれ・千砂都・恋の3人がメンバーに加わり、Liella!のリーダーとして仲間と共にステージの上に立ってきたかのん。

 

ラブライブ!の地区予選を突破し、母校の小学校から歌の出演オファーが舞い込んでくるなど、彼女たちの活動が概ね順調に進んできている中で、しかしその実、かのんが歌えなくなってしまった大元の原因、その根底の部分にある「過去の挫折」が真実解決されていたわけではなかったんですよね。

 

 

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焼き付いた過去の挫折(第11話より)

 

もちろん、澁谷かのんのリスタートを象徴する楽曲「Tiny Stars」の歌詞にもあるとおり、「ひとりじゃないから諦めないで進める」と想うことが間違っているわけではありません。

 

仲間がいるから頑張れる。可可も指摘しているように、これもまた素晴らしいこと。かのんが「歌うこと」に前向きになれたのはあの日の彼女が可可の手を取ったからで、チームとして共に歩んでいく意義がここに内包されています。この点はメンバーの誰しもが実感していたことでしょう。

 

 

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千砂都の想い(第11話より)

 

しかし同時に、そんなかのんの現状に対して「それって本当に歌えることになるのかな?」という想いを千砂都は心のどこかで抱え続けてきました。

 

かのんと対等に並び立つ自分になるためダンスに打ち込んできた千砂都は、一人で何かをやりきることの意味、無力な自分を作り変える過程で得られるモノの価値を誰よりも知っています。

 

だからこそ、"友情"だけを答えにしたくない。仲間と手を繋ぎ、歌を歌う。それはとても素晴らしいこと。でも、一人で歌えない状態から目を背けたままでは、本当の意味で歌に向き合えたとは言えないと思うから。

 

 

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このままを許容しない(第11話より)

 

そんな千砂都の想いは可可との会話を通して描かれていたとおりです。

 

五つに繋がったたこ焼き(=現在のLiella!を表すメタファー)をそのまま受け止められないのは、そこに妥協があると感じてしまうがゆえ。食べてしまえば同じ、5人でステージに立てば同じ。確かにそれでも成立はするのかもしれない。

 

でも、それではきっとあの頃のかのんが夢見ていた世界には至れないんです。千砂都が振り返る過去、かのんと千砂都の原点にはそう思えてしまうだけのものが確かにある。

 

 

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澁谷かのんの原点(第11話より)

かのん「最初からできないなんて そんなことあるはずないよ」

千砂都「でも....」

かのん「私も一緒にやるからがんばろう」

 

気が弱く、泣き虫だった幼い頃の千砂都。そんな彼女のそばにいて、前に進むことの大切さや勇気をくれたのがかのんでした。

 

しかし、千砂都はかのんに守られるだけの自分を良しとしなかったんですよね。走っては転び、体力もなかった子がゼロからダンスを始めて全国レベルまで証を刻んだのですから、並大抵の努力では至れなかったはず。

 

「何もできない自分」から「かのんちゃんを助けられる自分」になりたい。憧れの人、大切な誰かの隣に並び立てる存在になりたい。守られてばかりの自分ではいけないというこの想いが千砂都を強く成長させ、憧れのヒーローを追いかけて未来へと進む原動力になっていきました。

 

だからこそ、嵐千砂都は誰よりも信じています。笑顔で縄跳びを飛び、自分に勇気と諦めない気持ちを教えてくれた澁谷かのんの強さを。世界地図を見据え、広い世界へと歌を響き渡らせる。その原点こそが澁谷かのんのスケールであり、嵐千砂都が憧れた最強のヒーローだということを。

 

 

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澁谷かのんの原点(第11話より)

 

そんな千砂都の想い、一人で挑むことの意味を再確認したかのんは千砂都へ感謝を告げ、過去の自分へと向き合います。

 

本当は怖かった。物事には表裏があり、みんなのメンターとして歌の楽しさを説いていたその強さの裏側で、恐怖に震えていた弱い自分がいたこと。そんな弱い自分を認め、受け止めてあげる必要があったこと。

 

今ならわかる。その弱さに怯えることも恥じることもなかったんだ。誰もが弱さを抱えている。大事なことはその事実から目を背けずにきちんと向き合うこと。そのうえで前に進むために諦めず挑み続けること。尊敬する幼なじみがその人生を賭けてそうしてきたように。それが長い足踏みの末にたどり着いた澁谷かのんの答え。

 

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時間を超えて受け止めた自分(第11話より)

そう怖かったんだ...あの時も

それでも私は大丈夫 大好きなんでしょ歌

 

ゆえにもう大丈夫。自分の気持ちに気付けたから。気付かせてもらったから。怖くても進める。ちっぽけな昨日までの私を作り変えて、もう一度ここから夢に描いていたステージを奏でていける。

 

かつて向き合えなかった自分の弱さを抱き締め、力強くステージへ進んでいくかのんの姿は、かのんの優しさに後押しされ、それに並び立つ強さを求めて未来へと踏み出したかつての千砂都の姿とやはり対の関係になっているんですね。

 

千砂都は未来へ、かのんは過去へ。それぞれが進みだした先でも道は重なり、2人の想いはやはり何よりも強固に結びついている。寄りかからず甘えず、互いを支え合う自立した個として手を繋ぎ合えるのは、友情に妥協しない、互いの在り方と夢を尊重し合えるこの2人だからこそなのかもしれません。

 

 

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嵐千砂都と澁谷かのん(第11話より)


みんなのリーダーとして、千砂都の弱さを受け止めてくれていたかつてのかのん。しかし一方で、いつも先頭でみんなを鼓舞してきたかのんを導ける存在はきっと同年代にはいなかったのでしょう。

 

だからこそ、「かのんちゃんを助けられる存在になりたい」という千砂都の夢が大きな意味を持ってくる。かのんの中にある弱さを理解し、時に厳しく、しかし大いなる愛を持って彼女を支え導ける存在がやっぱり必要だったから。

 

嵐千砂都があの日誓った壮大な夢、過去と未来を抱き締めるその強い願いは"彼女のヒーロー・澁谷かのん"の復活と共に今日この日叶ったのです。



 

<前回のラブライブ!スーパースター!!>

『ラブライブ!スーパースター!!』第10話 感想:平安名すみれが掴んだ栄冠と光

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#10 チェケラッ!!

 

待ちに待ったすみれのセンター回、正直かなり楽しみにしていました。千砂都や恋を取り巻くエピソードが2話構成で描かれていただけに、4話の加入エピソードに連なるすみれの物語を待ち望んていた人も多かったことでしょう。

 

書き出しから物凄くストレートな感想ですが、すみれは凄く人間らしい子なんだと思います。いつか自分もスーパースターのように真ん中で輝く存在になりたい。そんな想いで「ショウビジネス」の世界へと飛び込んだ結果、十数年間端役として主役を眺めることしかできなかった苦い記憶がすみれの心に刻まれていきました。

 

だからこそ……だとは思うのですが、彼女にとってセンターは"特別な場所"であると同時に、いつしか「自分では手の届かない場所」「自分が立つことは許されない場所」を象徴するモノになってしまっていたのですね。

 

「夢を叶えたい、真ん中に立ちたい」という憧れの感情が"光"なら「私にはできない...」という恐怖心が彼女を俯かせる"影"の部分。今回はそんな「光」と「影」の両面で揺れるすみれの姿にスポットが当てられた回でした。

 

 

 

<前回のラブライブ!スーパースター!!>

 

第10話:チェケラッ!!

 

かのんの機転でグループ名が決まり、いよいよ「ラブライブ!」の地区予選に挑むことになったLiella!の面々。

 

地区予選のお題となった「ラップ」についての話題でかのんたちが盛り上がる中、どこか冷めた表情で4人のコミカル劇を眺めていたすみれの表情が序盤からしっかりと切り取られていました。

 

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一歩引いた地点から眺めるすみれ(第10話より)

 

ややメタ的な見方かもしれませんが、ずっと端からセンターを眺めてきたすみれのコンテクストを踏まえると、輪の中心でワイワイやる姿ではなく、外側から傍観する立ち位置を取ってしまう彼女の姿が映し出されていた点には作劇上の意図が見て取れるかもしれません。

 

かのんからの推薦で地区予選のセンターに任命された際の反応も、輪の中心から一歩引いた場所に自然と身を置いてしまうスタンスも。そのひとつひとつが物語っているとおり、センターで輝く自分の姿を一番想像できていなかったのは他でもないすみれ自身だったのです。

 

 

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私がセンター!?!?(第10話より)

 

 

平安名すみれの影と光

 

少しお話が前後してしまうのですが、今回のすみれ回を通して提示されていた可可の帰国を巡る展開も物語を動かす大きな起爆剤になっていましたよね。

 

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可可が抱える約束(第10話より)

 

可可にはどうしても勝たなければいけない理由がある。勉強ばかりでやりたいことがなかったという可可は、サニーパッションを見て「これだ!」と思ったと3話で語っています。自分の気持ちや感じたことを自由に歌ってみたい。そんな彼女に同じくらいの衝撃を与えた出来事がかのんとの出会いでした。

 

かのんと一緒にスクールアイドルがやりたい。このメンバーで「ラブライブ!」という最高の舞台に立ちたい。そんな思いを持つ今の可可にとって「Liella!」というグループはいわば「代わりのないもう一つの家」とも呼べる場所になっているのかもしれません。

 

だからこそ可可は常にスクールアイドルに対して真剣に向き合っています。そんな彼女から見ると、これまでのすみれがスクールアイドル活動に対してやや積極性を欠いていると感じてしまったことも理解できる話。

 

実際のところ今のすみれはプレッシャーから逃げようとしてしまっています。自分は晴れ舞台のど真ん中には立てない星の下に生まれた存在。どこかでそう見定め、誰よりも焦がれ続けてきたはずの夢を、一番信じられていないのはすみれ自身でした。見つけて欲しいのに、思わず身を隠す。この矛盾した振る舞いが、挫折によって屈折したすみれの人格をよく物語っています。

 

 

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もがくすみれの姿に可可は何を思ったのか(第10話より)

 

けれど、すみれも本質的には「本気で努力が出来る人」「真剣に何かに取り組める人」なんですよね。グループ内で突出して際立つものがなくとも、すみれのパフォーマンスが総合的に見て高いレベルにあるのはショウビジネスの世界で鍛え上げこれまで積み重ねてきた努力ゆえ。

 

公園の噴水に同期して、このままの自分では終わりたくないというすみれの感情が発露される光景を目の当たりにした可可の心情はもう語るべくもありません。センター衣装の件を見てもわかる通り「スクールアイドルに一番大切なのは気持ちデス!」と語る可可が、夢の実現に向けてもがくすみれの姿を見て何も感じないわけがないのですから。

 

同情でも何でもない。必死に殻を破ろうとしているすみれの"真剣"な姿勢に彼女の中で燻っている「光」を可可は感じ取ったのだと思います。

 

 

手を伸ばさなければ掴めない

 

一方、可可の想いとは裏腹に、結女の生徒たちからセンターを変えた方が良いと言われ、すみれは更に下向きな感情へと沈み込んでしまいました。

 

『気負い過ぎ』てしまうーーつまるところ"自信"がないということを見透かされてしまったのですね。思いなくして輝きはありませんが、その思いがポジティブなものでなければ人に夢を見せるアイドルとしてはやはり致命的。

 

誰よりも選ばれたいと願っているはずなのに、「結局最後に自分は選ばれないんだ」という現実を思い知らされ飲み込むのが怖い。そんなトラウマに支配されていたすみれを強く求めたのが、誰よりもスクールアイドルを愛してやまない可可だった、というのが今話における最大のポイントでしょう。

 

 

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栄冠の証であるティアラ(第10話より)

 

絶対に勝たなければならないステージで可可がすみれをセンターに選ぶ。

 

可可とすみれのこれまでの立ち位置、更には可可の置かれているひっ迫した状況ゆえに、同情なんて生易しい気持ちですみれを求めてはいない、可可の真剣さが伝わります。

 

他のメンバーではきっとこの役目は担えませんでした。優しすぎず甘すぎず、自分の気持ちに嘘をつかない真っ直ぐな可可だからこそ不安に駆られていたすみれの心を掬い上げることができる。

 

そしてすみれもまた可可がどれだけスクールアイドルに本気なのかをやはり知っているんですよね。子供のように好きなことに真っすぐ夢中になれる可可の姿が羨ましかったし微笑ましいとも思っていた。言葉にこそしませんが、5話ですみれが可可を見ながら浮かべた微笑みはそういう類のものだったと思うのです。

 

 

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可可を見て微笑むすみれ(第5話より)

 

そして「ショウビジネス」の世界へ初めて飛び込んだ頃のすみれもまたこの「はじまりの気持ち」を確かに持っていたはずなんです。

 

あの頃からたくさん経験を積んできたし、いっぱい努力もしてきた。だからこそ怖いし、積み上げてきたものが否定される瞬間の悲しみをすみれは痛いほど味わってきました。

 

でも、この場所でなら、自分を必要だと言ってくれる「Liella!」という場所でなら、もう一度あの頃のように輝きに向かってまっすぐ走り出せるのかもしれない。届いて....、届いて....。そう念じながら力いっぱい手を伸ばしたすみれは、彼女がずっと求めてやまなかった1番を象徴するティアラをついにその手で掴み取りました。

 

 

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自ら掴んだ栄冠(第10話より)

 

道化じみた仕草の奥に、凄く切実なものを抱えて生きてきたこれまでのすみれ。自分が輝ける場所を、一緒に走ってくれる仲間を手に入れた彼女の表情を見て、あぁ......ようやくすみれの夢が叶ったんだねと、誰もが胸を熱くさせたことでしょう。

 

敗者としての殻を破り、栄光のセンターステージを最高の形でやり遂げたすみれは、一番の証であるティアラを外し可可に『ありがとう』を伝えます。弱さも必死さも暗い影も全部受け止めてくれたアナタには、等身大の自分としてちゃんと感謝を伝えたい。飾りつけの言葉で自分を護ってきた平安名すみれの確かな成長の表れです。

 

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かけがえのない仲間(第10話より)



ここまで物語を見てきて、「Liella!」というグループは本当に名前通りに想いを結ぶことで共に成長し合っていくチームなんだなと、改めてそう思わされてしまいました。

 

かのんと千砂都の関係も、可可とすみれの関係も。互いの存在に影響され、互いの姿から学びを得る。これが「Liella!」のカタチ。こうなると恋にも熱いエピソードを期待したくなりますが、恋は学校と強く結びついている子なのでこの手のお話はもう少し先になるのかもしれません。

 

自分の「好き」を「夢」のままでは決して終わらせない。平安名すみれが掴んだ"ノンフィクション"に胸が熱くなる最高のお話だったと思います。

 

 

かのんとLiella

 

最後に少しだけ物語の外側も交えて主人公のかのんにまつわる小話を。

 

今回はセンターとしてすみれが輝くまでのお話が描かれていましたが、かのんをワントップにしたストーリー展開にせず"クゥすみ"がお互いを対象化する中で成長を遂げていく構成になっていた点もやはり見どころの一つでしたよね。

 

かのんは周りが良く見えているがゆえに課題解決能力が高いタイプの主人公なので、臆病になってしまうすみれの気持ちにも理解を示せるし、熱いエンジンを持った可可の背中をそっと押せるお姉さん気質な素養も持ち合わせている。これが「Liella!」のリーダー澁谷かのんの魅力なのかもしれません。

 

 

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Liellaのお姉さん的リーダー(第10話より)

 

前に出過ぎることなく時には場の調整役に徹するかのんの在り方。

 

「かのんをセンターにしすぎない」「かのんを人間関係の中心軸に置きすぎない」という配慮としても非常に新鮮な見せ方だったと思いますし、それでいて、負け続けてきたからこそ生まれたすみれの"影"を、同じく挫折を知るかのんがどっしり受け止めてメンバーたち(主に可可ですね)を諭していく展開は個人的にかなり納得できるものでした。

 

そんな「Liella!」のお姉さん的主人公であるかのんが、次回の第11話でどう過去のトラウマと決着をつけるのか。メンバー達からかのんに働きかける展開も期待したいところですが果たして……。次週を座して待ちたいと思います。

『ラブライブ!スーパースター!!』第9話 感想:私たちの名は「Liella!」!彼女たちだけの青春が始まる!

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#9 君たちの名は?

 

ラブライブ!シリーズ」の第4作目となる『ラブライブ!スーパースター!!』。

 

「外伝」としてシリーズに新しい風を吹き込んだ『虹ヶ咲』の雰囲気とも異なり、レジェンドスクールアイドルの系譜を受け継いだ少女たちの青春が本作では描かれてきました。

 

いざという時になると声が出ない。「好き」なのに歌えない。ステージ上で何もできなかった記憶、音楽科の受験失敗。過去の挫折が積み重なり、燻る想いを抱え続けてきた主人公の澁谷かのんは、スクールアイドルに憧れて海を渡ってきた情熱人・唐可可との出会いによって再び青春を取り戻します。

 

 

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純粋な可可の言葉がかのんに刺さる(第1話より)

「好き」なことを頑張ることに、おしまいなんてあるんですか...?

 

好きなものに対してどこまでも純粋で真っすぐな可可の言葉。この問いかけから本作は始まりました。

 

もちろん、実体験として痛みを知るかのんの言葉にも相応の重みがつきまとっています。

 

周囲からの失望、自分への落胆。夢を見ても掴まえられず、これまでにも辛いことは沢山味わってきた。だからヘッドホンで耳を塞ぎ、好きなことから背を向ける。もう傷つきたくない。そんなかのんの想いを咎めることは、誰にできるものでもないでしょう。

 

しかし、かのんだって本当は「歌っていたい」んですよね。だって「歌が好き」だから。そして彼女は「好き」の気持ちを大切にできる人。スクールアイドルを始めたいという可可の夢を応援するため、反対の意を唱える恋に身を乗り出して抗議をした行動からもその姿勢が強く読み取れます。

 

ゆえに、そんなかのんだからこそ、可可は一緒にスクールアイドルをやりたいと思った。「スバラシイコエノヒト」というだけであれば、かのんの事情を知ってなお可可がここまでかのんを強く誘ったりはしなかったはずです。

 

 

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可可の想い/新しいスタート(第1話より)

 

自分の「好き」を応援してくれたかのんだから一緒にいたい。自信が持てないと言うのなら、かのんが歌えるようになるまで今度は自分が全力で応援する。そんな可可の強い叫びは、たとえヘッドホンを付けていたって遮れない程かのんの心に強く響き渡った。

 

いくら傷ついても、「夢」を終わりにできない。絶対にしちゃいけない。ましてやこの「夢」は、誰かの「夢」と強く"結び"つき繋がっているのだからーー。

 

第9話:君たちの名は?

 

そんな熱い導入で始まったスパスタも今回でついに9話目です。

 

かのんと可可の2人で立ち上げたスクールアイドル部は「代々木フェス(3話)」で新人特別賞を記録し、その後も平安名すみれの参戦(4話)、幼なじみである千砂都の正式加入(5-6話)、葉月恋を絡めた学校問題(7-8話)が順に描かれ、晴れて5人のメンバーが揃う運びになりました。

 

そして今回新たに浮上してきたのが、グループ名をどうするのかという問題についてです。「名は体を表す」ではないですが、自分たちの活動を客観視する意味でも確かにこれは無視できない要素でしょう。

 

 

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グループについて考える(第9話より)

 

自分たちがどういう存在で、何をしたいグループなのか。「ラブライブ!」にエントリーをするのであればなおのこと、今後の方針をきちんと考える必要がありそうです。というわけで、先代・先々代たちも通ったこの命題が今回のお話を巡る大きなポイントになっていました。

 

 

なぜスクールアイドルをするのか

 

そもそもかのんたちがスクールアイドルを始めたきっかけとは何だったのか。

 

~スクールアイドルを始めた最初のキッカケ~

澁谷かのん:スクールアイドルを通してもう一度歌いたい

唐可可:スクールアイドルが大好きだから

嵐千砂都:かのんちゃんの力になりたい

平安名すみれ:有名になりたい

葉月恋:母の想いを継ぐ、学校を盛り上げたい

 

実際にかのんも9話の中で言っていますが、振り返るときっかけそのものは個々にバラバラなんですよね。

 

何なら明確に「スクールアイドル」自体を目的化していたのは、スクールアイドルをやるためにはるばる上海からやってきた可可くらい。すみれに至っては、(少なくとも始まりは)手段としての意味合いが強かったようにも思いますし...。

 

とはいえ、これは別におかしいことでも悪いことでもありません。動機自体に優劣なんて本来ないからです。「歌が好きだから」「誰かの隣に立ちたいから」「有名な存在になりたいから」。どれも立派な動機であり、頑張る意味はそれぞれ違っていて当たり前。

 

そう、たった一つ重要なことは、それでもなお彼女たちは繋がっている、想いが結びついているという事実の方なんですよね。

 

 

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私たちの名前(第9話より)

 

だからこそ、彼女たちの名前は「Liella!」。

 

輝きが繋がっていく、結ばれていくという意味を持つ私たちだけの名前。スクールアイドルが好きという可可の想いがかのんを再起させ、かのんの想いがすみれ・千砂都・恋の3人をスクールアイドルに引き寄せた。

 

まさしくこの5人に相応しい名前で、かのん自身が自分の願い(自分たちはこうである/あるいはこれからもこうでありたいという想い)に乗せて名付けたことに大きな意義が込められていたように感じます。

 

 

かのんたちが目指すもの

 

更に今回もう一つ熱いなと感じたのが、9話の終盤でかのんが語った

 

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Liella!だけの色(第9話より)

スクールアイドルをとおして、いろんな色の光で結ばれていくといいなって思ったんだ。赤だったり、青だったり、緑だったり。繋がったり結ばれていく中で。私たち自身想像もしないようないろんな色になっていく。

 

という台詞。凄く「ラブライブ!」らしくて僕は好きです。

 

未来のことは誰にもわかりません。だから何色にだってなれるし、気持ち次第でどんなことにも挑戦していける。挫折を知るかのんだからこそ、より一層深みが出る言葉でもあります。

 

あえて直接的な言い方をしてしまうと、「ラブライブ!」という大会そのものはあくまでも彼女たちの青春や夢を映し出すための一つの手段や枠組みでしかないと個人的には思っています。正直それ以上でもそれ以下でもない。

 

ゆえに、過去も先代も先々代も関係はありません。レジェンドスクールアイドルたちが成し遂げてきたからといって必ずしも大会で優勝する必要はないし、彼女たちらしい物語が見れればそれでいいとさえ思います。

 

「これっていうイメージがない」「特徴がない」。クラスメイトたちがそう指摘するのは当然でしょう。まだ彼女たちの青春は始まったばかりなんだから。真っ白なキャンバスに何を描くのかはこれからの彼女たち次第。だから青春は楽しいものなのです。

 

みんなの想いをスクールアイドルに乗せて。澁谷かのんと「Liella!」にしか描けない青春の色を僕らに見せつけて欲しい。改めてそう感じたお話でした。来週も楽しみです。

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