ふわふわびより

『ぼくたちは勉強ができない』153話 感想:恋とは何か?好きとは何か?教えてくれたのは君でした!

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ぼく勉 問153 感想「[x]=機械仕掛けの親指姫編③」

ぼくたちは勉強ができない』 最新話 感想 ネタバレ注意

 

理珠ちんの可愛さがカンストしまくっているここ数回の個別編。

 

水着選びと海水浴を別々の回で描く貪欲なストーリー構成はもちろんのこと、この世界における緒方理珠の積極性も中々に半端ではありません。

 

水着姿を晒すことにさえ露骨に抵抗感を示していた初期の頃とは一転し、好きな人に自分を見てもらうための行動を自ら進んで取るようになった。

 

 

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緒方理珠の変化(問7/問153より)

 

そして、その変化の源泉には当然「恋」という感情が関与していて、そんな気持ちを教えてくれたのは唯我成幸という男の子との出会いでした。

 

だからこそ、緒方理珠の恋物語の終着点として「恋心とは何か」「結ばれるとは何か」という命題(=問い)が描かれることは、文脈的に考えてもマストなのだと思います。

 

前回の感想でも書いた通り、自分の気持ちを自覚した彼女に残った課題が「唯我成幸の気持ちを知ること」である以上、機械仕掛けの親指姫編のゴール地点もそのあたりの内容が鍵になると見て間違いないでしょうから。

 

 

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結ばれるとは何か

 

自分の気持ちを自覚し、「自分が本当に求めているものが何なのか」を知った緒方理珠。

 

正直なお話、僕はifルートに入る前の高校生編でこういう展開を一人ずつちゃんと描いて欲しかったと思ってきましたし、花火のジンクス次第で世界線が変わるだとか、うるかルートを走り切るために他ヒロインとの決着を流れ程度にしか描かないだとか、そういう描き方は正直僕個人としてはあまり好みではありません。

 

友達の恋を応援する。大切な人の恋を応援する。そういう気持ちは間違いなく美しいことだけれど、それでも、個々のヒロイン達に対して平等に機会が与えられず、やれることもやり切れないまま"大人になるしかない"展開に持っていかれることにはひどく違和感があったし、ストーリー上の都合を強く感じてしまったからです。

 

彼女たちを「キャラクター」として消費しようとは思いたくないし、あくまでも一人の「人間」としてみたい。本気になって楽しんだり、悩んだり、時にはぶつかったり。そういう、ちゃんと「人間」やってるなと感じられるお話がやっぱり僕は好きなんです。

 

 

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生きてる感情

 

ゆえに、高校生編で描き切れなかったヒロインたちの「人間らしい部分」「本当の気持ち」が描かれていくことをifのルートでは期待しています。

 

たとえifであろうとも、成幸くんと彼女たちが一体どんな恋の物語を見せてくれるのか。積み上げてきたもの、物語を構成する縦軸、そして…一番大切な気持ちのやり取り。その全てを踏まえて、メインヒロインと主人公唯我成幸のハッピーエンドを最高なものとして描き切って欲しい。

 

そんな淡い願望を抱きつつ、今週もまた気になった点について簡単に振り返っていきたいと思います。

 

 

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ぼく勉 問153:[x]=機械仕掛けの親指姫編③

 

さて。そんなわけで今週は海水浴編です。

 

緩い日常回を展開しつつも重要な会話が随所にちりばめられており、冒頭から色々と書きたいことが数点あったはずなのですが、4ページ目を開いた瞬間に全ての思考が溶けました。

 

まさか、ここ大学生文乃さんが最強の水着コーデを完成させて降臨なさるとは……。ジャンプを手に取った瞬間に感じた圧倒的なオーラはこのためだったのか………!

 

 

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文乃さんJDフォルム

 

可愛い…………

 

さすがはミス太陽系代表の古橋文乃さんである。高校生時点でアルティメットビューティフルの極みでしたが、女子大生となった御姿も女神そのものです。

 

いくら理珠ちんメインのルートとはいえ、この世に流通している「可愛い」の約8割(※僕調べ)を担う宇宙一の大天使・古橋文乃さんが登場しないことには何も始まりませんからね。

 

この世界における文乃さんの認識がどう変わっているのかは推測しかできませんが、うるかの存在を気に留める描写は流石にこのルートだとノイズにしかならないと思いますので、おそらくは理珠ちんの積極的な姿勢を見て応援しようという立ち位置で関わってくるのでしょう。

 

 

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文乃さんの認識

 

また、そう考えると文乃さんの個別ルートがどういう風に展開されていくのかも少し気になるところです。

 

「①:問69の文化祭花火で手を繋ぐ ⇒ ②:①の事象により長編に変化が発生する ⇒ ③:②を前提とし関係性に変化が生じる ⇒ ④:大学生編に至る」

 

という流れで理珠ちん編は描かれていると予測がつきますが、文乃さんが自身の気持ちを完全に自覚したのは長編よりもそれなりに後の「問136」の時点でした。

 

だとすると、長編を一部改変してどうこうみたいな展開にはならず、問136のエピソードで「すき」という言葉が伝わっていた世界線、あるいは……もっと違う何かになる可能性もあるのかもしれませんね。

 

 

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文乃さんルートはいかに?(問136より )

 

いずれにしても、高校生編では描かれなかった文乃さんの本心がきちんと成幸くんに伝わること、「家族」というピースが根底に敷かれている中で文乃さんが大好きなお母さんから大切な言葉をもらっていること。

 

そういった諸々の積み重ねがしっかりと活きてくる、完全無欠のグッドエンディングを見せてくれたら嬉しいなと思っています。

 

 

 

好きという感情を教えてくれたのは...?

 

一方で、主人公の唯我成幸くんといえば、持ち前の鈍感力をいかんなく発揮し、無自覚なまま女の子を感傷的な気持ちにさせてしまうのであった……。

 

ストーリーのフォーマット的にある程度は仕方がないわけですが、ここにきて人の気持ちを理解できていないのがむしろ唯我成幸の方だと突きつけてくる展開になっているのが何とも面白いですね。

 

 

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ゲーム

 

理珠ちんが提示した「ゲーム」の裏側にある真の気持ち

 

それは単なる興味本意の感情などではなく、一年という時間の積み重ねの末に見つけた大切な気持ちです。

 

「ゲーム」という体裁を保って提案を持ちかけたのは彼にその気持ちをわかってもらえないからであって、勝ち負けを決めたいがために「ゲーム」をやっているわけじゃない。

 

振り向いてもらいたくて。好きになってもらいたい。

 

この「ゲーム」はそういう想いを前提にして成り立っている。だからこそ、ただの「ゲーム」という体裁のまま「勝ち負け」を決めること自体に"意義"はなく、彼女がこの「ゲーム」を仕掛けた理由、その裏側にある気持ちを彼が自覚することで2人の両想いは完成する。

 

 

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緒方理珠の気持ち

 

ずっとゲームに負け続けてきた彼女が物語の最後に「勝利」を飾り、そのうえでゲームに勝つことよりももっと大事なものを2人の手で掴んでいく。

 

そんな熱いラストに期待したくなりますが、果たしてこの先どうなるのか...。次週も引き続き海水浴編という事で、文乃さんの登場も楽しみにしております。

 

 

 


 ※本記事にて掲載されている情報物は「『ぼくたちは勉強ができない』/筒井大志週刊少年ジャンプ」より引用しております。

『ぼくたちは勉強ができない』152話 感想:二人だけの恋愛ゲーム!その手を繋ぐためには...?

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ぼく勉 問152 感想「[x]=機械仕掛けの親指姫編②」

ぼくたちは勉強ができない』 最新話 感想 ネタバレ注意

 

前回から始まった緒方理珠メインの個別ルート。

 

大学に進学した後の完全新規ストーリーを採用しており、今週のお話も前回と同様にやや緩めな日常劇が描かれていました。

 

ブコメ的サービスシーンを取り入れつつも、「水着を選びにいく」というドキドキのシチュエーションを描くことで「理珠ちんルートのコンセプト」と2人の距離感を提示する。

 

 

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ブコメのお約束がここに

 

第一のうるかルートと異なる2人の関係性にはどのような背景があり、どんな理由で世界線が変わったのか。

 

今回はそんなところを中心に物語を振り返っていきたいと思います。

 

 

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ぼく勉 問152:[x]=機械仕掛けの親指姫編②

 

さて。そんなわけでお話は前回の続きからです。

 

来週から「緒方うどん」が海の家に出張するということで水着選びに興じる成幸くんたちを描いた今回。

 

しかし、上述した通り単に緩いお話をやっていたというわけでもなく、「物語の構造」に関する事情が2点ほど伺える内容でもありました。

 

 

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世界線の変動理由

 

一つは、 この世界における理珠ちんと成幸くんの間には「二人だけのゲーム」が続いていて、その発端がクリスマスに描かれた理珠ちんの長編(問114~問117)に由来しているということ。

 

つまり、

 

①:問69の文化祭花火で理珠ちんが手を繋ぐ

②:①の事象により問114~問117の長編に変化が発生

③:②を前提とし成幸くんと理珠ちんの関係性が変わっている

④:現在(大学生編)に至る

 

という流れの中でこの個別ルートが描かれており、各ヒロインとも「個別の長編エピソード」を通じて恋愛フラグが経つ仕様に変わっていると推測ができる。

 

そして、そうなってくると同時に、今回の個別ルートがどの程度の尺で描かれる予定なのかもおおよその目処が立ったと見ても良いのかもしれません。

 

問142~問150の全9話で一気にうるかの「個別長編(恋愛フラグの起点)+個別エンディング」を描いたのだと解釈すれば、既に3話~5話分の個別長編がそれぞれ描かれている4人の個別ルート展開は残りの5話前後に収めてくる可能性が極めて高くなる。

 

個々の長編が起承転結の「転」の役割を担い、そこからお話が各ヒロインとも恋愛方向の意識に転じて行ったと仮定すると、「長編+ifエンディング」で単行本一冊分くらいの個別ルートと見なすこともできるため、それぞれ残り5話くらいの配分でifストーリーが描かれていくのかなと個人的には思います。

 

 

 

恋愛ゲームのその先で

 

一方、「二人だけのゲーム」という表現も非常に気になるポイントの一つ。

 

「感情の理解」を一つのゴールとしていた理珠ちんが自分の気持ち(=大好き)を理解し、関城紗和子という良き理解者……もとい鼻血だらけの親友も得た。

 

もはや自身の感情に対する理解度という点では鈍感主人公たる唯我成幸よりも随分と成熟しているように見えるし、実際そうして成長を遂げた彼女のアグレッシブな姿が作中で描かれてもいる。

 

 

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理珠ちんのアプローチ

 

となると、残るは「相手の気持ちをきちんと理解すること」……つまりは想い人である成幸くんの気持ちを正しく理解すること(確かめると言った方が正確……?)がこのゲームの核であり緒方理珠エンディングへの道しるべになりそうな気がします。

 

この気持ちが「恋なのかどうか」。それを二人で確認しあっていく。そういう二人だけのゲームが秘密裏に行われている状況にあるのだとすれば、理珠ちんが成幸くんに挑発的な発言を繰り返している理由とも繋がるのではないでしょうか。

 

 

 

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恋愛ゲーム

 

自分の気持ちを自覚した彼女に残った課題は「唯我成幸の気持ちを知ること」で、だからこそ「成幸くんの気持ちを確かめる」という方向性のゲームが展開されている。

 

結果として、ドキドキの積み重ねが緒方理珠という存在への好意を自覚させ、晴れて二人がお互いの感情を理解し合う結末をもたらしていく。

 

そんな、大局的に見て敗者のいない幸福なグッドエンディングがこの"ゲーム"の結末になるのなら、この個別ルートを描いた意義も十二分にあるのかなと。そんなことを思う、問152のエピソードでした。

 

……というわけで、今回の感想を端的にまとめると、

 

 

理珠ちんルートに乞うご期待!

 

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理珠ちんルートに夢を見よう!

 

「Hになってしまった理珠ちん」に俄然期待していきたい!ってことですよ。

 

ミス太陽系代表の文乃さんエピソードもこの後に控えているわけですが、大学生編なんですから少しくらいハメを外したって良いの精神でガンガン突き進んで欲しいなと。

 

そんなテンションで楽しむのがベストだと思われる個別ルート展開、まずは理珠ちんと成幸くんがどのように手を繋いでいくのか、次週以降のエピソードを楽しみにしております。

 

 

 

 


 ※本記事にて掲載されている情報物は「『ぼくたちは勉強ができない』/筒井大志週刊少年ジャンプ」より引用しております。

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(俺ガイル)』14巻(最終巻) 感想・考察:本物を求め続けた先にある青春ラブコメの答え

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『俺ガイル』14巻(最終巻) 感想・考察

俺ガイル 最新巻 感想 ネタバレ注意

 

「本物」を追い求める高校生たちの青春を描いたライトノベルやはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」が昨年11月に完結を迎えた。

 

数ヶ月前から少しずつTwitterを通して感想を投稿し、ようやくこの作品に対する自分なりの見解が固まってきたため、これまでの総括を交えながら最終巻の感想をブログにまとめていきたい。

 

それなりに文字量のある記事(7500文字程度)になってはおりますが、興味のある方は是非とも最後までお付き合い頂きたく、宜しくお願いいたします。

 

 

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~14巻あらすじ~

 

まちがい続ける青春模様、シリーズ完結。

 

季節はまた春を迎えようとしていた。
同じ日々を繰り返しても、常に今日は新しい。悩み、答えに窮し、間違えを繰り返しても、常に飽きもせず問い直すしかない――新しい答えを知るために。


言葉にしなければ伝わらないのに、言葉では足りなくて。いつだって出した答えはまちがっていて、取り返しがつかないほど歪んでしまった関係は、どうしようもない偽物で。

 

――だからせめて、この模造品に、壊れるほどの傷をつけ、たった一つの本物に。故意にまちがう俺の青春を、終わらせるのだ――。

 

過ぎ去った季節と、これから来る新しい季節。

まちがい続ける物語が終わり……そしてきっとまだ青春は続いていく。シリーズ完結巻。

 

 

 

俺ガイル 14巻(最終巻) :本物とは何か

 

さて。既に書き出しでも述べた通り、『俺ガイル』は"本物"を求める高校生たちの青春模様を描いた物語である。

 

"ラブコメ"としての側面を持ちながらもその点にブレはなく、「本物」の希求こそが常にこの作品の核心であり続けた。

 

よって、当然「本物」とは一体どういうものなのか……というテーマが物語を貫く要旨となってくるわけだが、この抽象的なワードを具体的に定義している内容については第9巻で既にその一端が八幡の台詞を通して描かれている。

 

 

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八幡の欲した本物

 

俺はわかってもらいたいんじゃない。俺はわかりたいのだ。わかりたい。知っていたい。知って安心したい。安らぎを得ていたい。わからないことはひどく怖いことだから。完全に理解したいだなんて、ひどく独善的で、独裁的で、傲慢な願いだ。本当に浅ましくておぞましい。そんな願望を抱いている自分が気持ち悪くて仕方がない。

だけど、もしも、もしもお互いがそう思えるのなら。
その醜い自己満足を押しつけ合い、許容できる関係性が存在するのなら。そんなこと絶対にできないのは知っている。そんなものに手が届かないのもわかっている。「それでも……。それでも、俺は……。俺は、"本物"が欲しい」(第9巻、アニメ2期8話より)

 

比企谷八幡が欲した"本物"とは「相手のことを完全に理解したい」ということであり、その「自己満足を押しつけ合い、許容できる関係性」を築くことだった。

 

「言葉にせずともわかりあえる関係性」が理想の産物だと知りつつも、言葉に裏があるのかどうかを読んでしまう比企谷八幡にとって、「話せば何でもわかりあえる」という弁は欺瞞であり曖昧なものである。

 

だからこそ、たとえ手が届かないとしても、足掻きもがき苦しんで「本物」が欲しいと願ったわけだ。うわべだけの馴れ合いではない、もっと深いつながりに憧れてしまったから。この背景が物語の大前提として敷かれている。

 

そして、この大前提(=作中表現でいうところの『信念』)は、比企谷八幡雪ノ下雪乃が言葉にせずとも確かに共有していたものだった。

 

 

「俺には確かな信念があったのだ。おそらくは、誰かとたった一つ共有していて。今はもう失くしてしまった信念を。」(第8巻 p.204より)

俺が見てきた雪ノ下雪乃

常に美しく、誠実で、嘘を吐かず、ともすれば余計なことさえ歯切れよく言ってのける。寄る辺がなくともその足で立ち続ける。

その姿に。凍てつく青い炎のように美しく、悲しいまでに儚い立ち姿に。そんな雪ノ下雪乃に。きっと俺は、憧れていたのだ。(第5巻 p.218より)

 

 

八幡と雪乃の強固な"つながり"、比企谷八幡雪ノ下雪乃に憧れていたとわかる明確な記述。

 

こうした背景を元に「本当の雪ノ下雪乃を知っていく過程が『俺ガイル』の本流にあり、今の自分から"変わりたいと願う雪乃""変わることを逃げと評してきた八幡"の対比関係(及び、すれ違い) が中盤以降のストーリーで展開されていく。

 

 

八幡「変わるなんてのは結局、現状から逃げるために変わるんだろうが。逃げてるのはどっちだよ。本当に逃げてないなら変わらないでそこで踏ん張んだよ。どうして今の自分や過去の自分を肯定してやれないんだよ」

雪乃「……それじゃあ悩みは解決しないし、誰も救われないじゃない」(第1巻より)

 

 

無論、アニメ第1期(原作 第1巻~第6巻)の段階における雪乃自身の「変わりたい」という願望は遠回しにしか語られておらず、序盤で見える雪乃像はあくまでも八幡のフィルターを通した完璧な理想像であったため、物語を通じて変えられていく対象は雪乃以外の人物たちだった。

 

しかし、巻が進むにつれ、真に変わりたいと願っていたのが雪乃自身だったという事実が浮き彫りになる。

 

 

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いつか、私を助けてね

 

第9巻の「いつか、私を助けてね」の台詞がその決定打となり、終盤の論点が雪ノ下雪乃がいかにして変わるのか、あるいはいかにして自立を果たすのかに寄っていたのもおそらくはこのためだと考えて良い。

 

うわべだけではないお互いを知り、お互いの感情に歩み寄りを図る。相手への理解を「本物」と定義し、雪ノ下雪乃比企谷八幡の相互理解を一つのテーマに据える。

 

 

俺も、雪ノ下も、お互いのことを知らなかった。

何を持って、知ると呼ぶべきか。理解していなかった。

ただお互いの在り方だけを見ていればそれで分かったのにな。大切なものは目に見えないんだ。つい、目をそらしてしまうから。

俺は。俺たちは。

この半年近い期間をかけて、ようやく互いの存在を知ったのだ。(第6巻 p.353~354より)

 

 

以上の背景より、比企谷八幡の想い人が雪ノ下雪乃であることは最初から明示されていたと読むのが筋なのかもしれない。

 

理由や理屈に拠らない、自身の感情で動く八幡と雪乃のラストに物語の集大成があったように思う。

 

 

待ち続けたヒロイン由比ヶ浜結衣

 

とはいえ、それはあくまでも構造上のお話である。

 

八幡と雪乃の成長ストーリーが軸にあったことは間違いないが、ブコメとしての側面を交えればより多くの接点を持っていたのは由比ヶ浜結衣の方である。

 

にも関わらず、最初から可能性がゼロで彼女の恋が失恋前提だったと解釈してしまうのは流石に胸が痛むし、個人的にあまり好きな読み方ではない。

 

由比ヶ浜はたぶんまちがえない。

彼女だけはずっと正しい答えを見ていた気がする。(第11巻、アニメ2期13話より)

 

上述の台詞からもわかるとおり、そもそもこの物語において由比ヶ浜結衣は「まちがえない」存在として描かれてきた。

 

 

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由比ヶ浜結衣の恋

 

「まちがいラブコメ」の象徴が八幡と雪乃であるならば、彼女は最初から正しい答えを知り、ちゃんとしたやり方を知っていた人物。

 

そして、ここで言うところの正しい答えとは「相手の"感情"を推し量ること/理屈ではなく感情(=主観)で動くこと」だと推測ができ、理由を与えられなければ動けない八幡と雪乃のやり方を彼女はずっと傍で見守り待ち続けていたことになる。

 

だからこそ、「第12巻~第13巻で書かれていた彼女の独白(=「Interlude」)がひどく胸を打つ切ない描写に映ったのだと思う。

 

 「彼女のお願いはもう決まってる。あたしと同じであたしと反対。似ているけれど全然違う。」(Interlude③-p133)

「ずるいのも、言い訳なのも、嘘なのも、全部わかってるけど。けどもう少しだけこの時間を続けさせてください。ちゃんと終わらせるから。もしかしたら、なんて願ったりしないから」(Interlude④-p209)

 

雪乃の願い(=八幡への好意)が自分と同じであることを知りながら、八幡と雪乃の答え(=両思い)をも最初から知っていた。

 

そんな彼女が心の片隅で願ったのは「曖昧な時間を続けること」であり、それは当然「本物」ではなく、雪乃の願い(+物語の目指す場所)とは真逆の願いとなる。

 

恋も友情も奉仕部として過ごす時間も、その全部が欲しい。彼女が自身を「ずるい子」と評している理由はそういう欺瞞を求める在り方に自己嫌悪があったからである。

 

だから、もう少しだけ。

そうやって言い訳をして。噓をついて。
頑張って笑顔を作る。ほんとに、ずるくて、嫌な子だ。(第13巻より)

 

しかし、そういう「感情」の発露こそが彼女の正しさの象徴に他ならず、たった一人で運命に抗おうとした女の子の強さだ。

 

八幡が「由比ヶ浜結衣はやさしい女の子だ...そう勝手に決めつけていた。雪ノ下雪乃は強い女の子だ....そうやって理想を押し付けていた。(アニメ第2期13話より)」と語っていたが、まさしくその通りだと言って良い。

 

能動的に何かを待ち続けることの難しさは誰もが理解しているところで、その実現が難しい願いであるのならなおさら切なさが募る。

 

待っててもどうしようもない人は待たない。

こっちから行くの。 

……なんか、待ってみたかったから (第14巻より)

 

けれど、彼女はただ受け身で構えていたわけでもなく、自ら関わりを持ったうえで八幡たちの答えを待つ選択をした。

 

奉仕部に入部をしたことも、八幡のやり方を見守り傍で支え続けてきたことも。確かに彼女が選び、積み上げてきた「今」という時間の結果である。

 

比企谷八幡にとって由比ヶ浜結衣がかけがえのない大切な存在になったのはこうした「今」の積み重ねがあったからであって、たとえ恋に敗れようともその日々がなくなることは決してない。

 

 

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由比ヶ浜結衣の強さ

 

もどかしい「まちがいラブコメ」の中で、誰よりも真っ当に恋の熱を帯びていた由比ヶ浜結衣の強さ。

 

彼女がいたからこそこの作品を好きになれた自分がいる。その点を深く留意したうえで結末を前向きに受け入れていきたいと思う。

 

 

 

雪ノ下陽乃がもたらす問題提起

 

さて。奉仕部3人の関係を更に深く考えるにあたり、雪ノ下陽乃の存在がキーだった点にも触れていく。

 

雪ノ下雪乃の姉であり、雪ノ下家の長女でもある雪ノ下陽乃。彼女がどういう存在で、どんな役割を担っていたのか。

 

ひとつは、奉仕部の現状について問題提起を行う人物であったという側面が挙げられる。「自意識の化物」「共依存」「代償行為」などのワードを始め、陽乃の視点は常に"客観"で語られている。

 

 

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陽乃の示唆はいつも客観

 

例えば第13巻の骨子は、3人がそれぞれに「共依存」というワードからの脱却を画策する様子に比重があった。

 

雪乃は八幡の力を借りずにプロムを実現することで”自立”を果たそうとし、八幡は「あいつが助けを必要としていなくて、それでも俺が助けたいと思うなら……、それは共依存なんかじゃない」という論理に基づいて共依存からの脱却を試みる。2人のやり方に素直な感情はなく、共依存からの脱却」という記号を攻略しようとしていたに過ぎないことがわかる展開であった。

 

しかし、対する由比ヶ浜は自らの感情に基づき「少なくとも自分は共依存なんかじゃない」と陽乃の言葉を正面から否定する。自分の中から湧き出る感情を「共依存」なんて容易い言葉で第三者にタグ付けされるなんてあってはならないから。その感情は一言で片付けて良いものでは決してないからである。

 

由比ヶ浜結衣にとっては本物だとか共依存だとか勝負だとかそんな事情は一切関係なく、今ここで感じている

 

「あたしの全部が、痛いくらい、好きだって悲鳴を上げてる」(Interlude⑥-p333)

 

 という感情こそが全てだった。

 

ゆえに、陽乃の指摘に直面した奉仕部の面々は、最終的に自らの"主観"によって――言い換えれば「感情」によって――課題を乗り越える姿が求められていたと言える。

 

 

もうひとつ気になるのは、陽乃自身が奉仕部の現状を写す鏡であったと思われる点。言わずもがな、作中において雪ノ下陽乃停滞や後退のメタファー(=歩みを止めてしまった者)として描かれてきた。

 

あ、勘違いしないでね。家のことなんて正直どうでもいいのよ? わたしは別に家継ぎたいわけじゃないし」

「こんな結末が、わたしの二十年と同じ価値だなんて、認められないでしょ。もし、本気で譲れっていうならそれに見合うものを見せてほしいのよね」(第14巻より)

ちゃんと決着つけないと、ずっと燻るよ。いつまでたっても終わらない。

わたしが二十年そうやって騙し騙しやってきたからよくわかる……。そんな偽物みたいな人生を生きてきたの (第14巻より)

 

上述の台詞通り、母の言い付けで家を継ぐこと自体は彼女にとっておそらくどうでもいいことなのだとは思う。

 

しかし、宿命を受け入れる期間として過ごしてきた自分の20年がつまらない妹の茶番劇(=本物から目をそらす奉仕部)で塗り替えられるなんてのはやはり納得がいくものではない。

 

対価として八幡たちに「本物」を求めたのは、やはり歩みを止めてしまった者として陽乃自身もまた「本物」を希求していたからだろう。そう解釈をすると、単なる舞台装置ではない"生きた雪ノ下陽乃の想い"を感じ取ることができるのかもしれない。

 

 

 

颯爽と、平塚静は前を歩く

 

一方、そんな陽乃と対照的だったのが世界の平塚こと平塚静である。

 

 

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平塚先生

 

誰かを大切に思うということは、その人を傷つける覚悟をすることだよ

君でなくても本当はいいんだ。この先いつか、雪ノ下自身が変わるかもしれない。いつか彼女のことを理解できる人が現れるかもしれない。彼女のもとへ踏み込んでいく人がいるかもしれない。それは、由比ヶ浜にも言えることだ。

君たちにとっては、今この時間がすべてのように感じるだろう。だが、けしてそんなことはない。どこかで帳尻は合わせられる。世界はそういうふうに出来ている。……ただ、私はそれが君だったらいいと思う。君と由比ヶ浜が雪ノ下に踏み込んでくれることを願っている。

この時間がすべてじゃない。……でも、今しかできないこと、ここにしかないものもある。今だよ、比企谷。……今なんだ (アニメ2期8話より)

 

 

控えめに言って至言だらけの先生であるが、平塚静はただ大人として彼らに助言を与えるだけではなく、八幡たちの目線を汲み取ったうえでクリティカルな示唆を提示してくれる存在であった。

 

雪ノ下陽乃を指して「歩みを止めてしまった者」と評したのも彼女であり、「今を肯定する者」として彼女が陽乃と対を為していたこともおそらく偶然ではない。

 

平塚先生の語った、

 

共依存なんて、簡単な言葉で括るなよ……

その気持ちをわかりやすい記号で済ませるなよ (第14巻より)

 

という言葉が奉仕部のこれまでと「今」を肯定し、共依存なんて言葉で簡単に片付けて良い人間関係は存在しない」という示唆を八幡にもたらす。

 

 

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奉仕部が積み重ねてきた今

 

「今」という瞬間は更新を繰り返して止まず、彼らは彼らだけの「今」を前向きに生きていく。ならば、第三者が決めた客観的記号に果たしてどれだけの価値があるだろうか。

 

陽乃は後継ぎとして家に囚われ続けてきたが、雪乃が家を継ぐことによって晴れて自由の身になることができる。きっとここから雪ノ下陽乃の、偽物ではない本当の人生が始まるのだ。

 

もう「歩みを止めてしまった者」ではいられないし、家に依存することもできない。代償行為ではない「自己実現」を自分自身で見つけ、自分の足で歩き出さなくてはならない。

 

もし可能であるのなら、是非とも彼女の行く末を書いていただけたら幸いである。(刊行予定の短編集に期待しております。)

 

 

 

「青春」はいつまでも「本物」を探し続ける

 

さて。ここまで様々な見解をつらつらと書き続けてきた結果、新しく気になった点が一つある。

 

そもそも雪乃はなぜ奉仕部を作ったのか。彼女が最初に「変えるのよ、人ごと、この世界を」と語っていたことから「持っているもの」が損をする世界を変えるためと捉えても良いのだろうが、それではあまりにも対象が広く一介の高校生には荷が重い。

 

とすると、奉仕部の活動方針が

 

魚の獲り方が分からない人に魚の獲り方を教えて「自立」をうながす

 

というものであったことからして、やはり雪乃自身の「自立」が目的の一つであったと見た方が妥当だろうか。他者に手を差し伸べながらも本当に救われたかったのは雪乃で、結果を見るに八幡と由比ヶ浜によって彼女は救われたことになる。

 

実際に雪乃は彼女の意志で父親の仕事を手伝うと決めているし、八幡との恋も自分の気持ちに従って意思決定を行った。

 

 

平塚先生「どんな言葉でもどんな行動でもいいんだ。その一つ一つをドットみたいに集めて、君なりの答えを紡げばいい。キャンバスの全部を埋めて、残った空白が言葉の形をとるかもしれない」

八幡「お前は望んでないかもしれないけど……、俺は関わり続けたいと、思ってる。義務じゃなくて、意志の問題だ。……だから、お前の人生歪める権利を俺にくれ」 

雪乃「あなたの人生を、私にください」「あなたが好きよ。比企谷くん」

 

八幡が自分なりの答えを紡ぎ、雪乃が残った空白の2文字(=好き)を言葉にする。

 

その「言葉」がうわべで曖昧なものに映らないのは、お互いを大切に想い合う前提を積み重ねてきた彼らだからこそなのだと思う。

 

雪乃の「自立」と八幡の欲した「本物」。他者から与えられてパートナーを得たわけでもなければ、自己実現に向けて歩き出した雪乃に依存の影を見るのもやはり無粋でしかない。

 

今の八幡と雪乃ならばきっと、面倒な遠回りを繰り返しながらも同じ歩幅で「本物」を求め続けていけるはずだ。「青春」はいつまでも「本物」を探し続けていくのだから。

 

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たどり着いた青春ラブコメの答え

 

 

そして願わくば、作品最大の功労者として2人を見守り待ち続けてきた由比ヶ浜結衣にも幸せな未来が訪れて欲しいなと。

 

そんなことを想いつつ、この場を借りて、最高の物語を生み出してくださった作者の渡先生に感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

 

 

『ぼくたちは勉強ができない』151話 感想:機械仕掛けの親指姫編開幕!そこにある夢のような幸せだけを見つめて...

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ぼく勉 問151 感想「[x]=機械仕掛けの親指姫編」

ぼくたちは勉強ができない』 最新話 感想 ネタバレ注意

 

機械仕掛けの親指姫編」として始まった今回の第2ルート。

 

「文化祭の花火」が打ち上がった際に理珠ちんが成幸くんの手を取った世界線であり、ジンクス通りに2人が必ず結ばれるという大前提の元で今回のお話は描かれていました。

 

 

つまり、事前におさえておく事実関係としては

 

 

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成幸くんの手を取ったのは理珠ちん(第2ルート)

 

①:問69以前のお話は過去も含めて全て共通

②:問69(文化祭編ラスト)~問141(試験終了)の内容がおそらく一部変わっている

③:問141でうるかは告白をしなかった

④:③の理由により問142~問150のうるか編は存在しない

⑤:ここからのルートは高校卒業後の大学生時点から始まる

 

…という感じでしょうか。

 

前回の感想でも書いた通り、「うるかが告白をしなかったからうるかルートに入らなかった」とする以外に他ルートの描きようがなく、主人公である唯我成幸自身の主体性の無さに正直モヤモヤは残る。

 

更に言えば、この世界線におけるうるかは「告白ができないまま」旅立っていったということになってしまい、「できない」から「できる」への変化にテーマ性を見出だしていた作品としてのアイデンティティは一体どこにいったのか…?と思う気持ちもある。

 

 

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なぜうるかは告白をしなかったのか...?

 

5年間抱えてきた気持ちをついぞ言葉にしないまま、うるかが単身海外へと渡る決断を下した第2の時間軸。

 

この点に関しては様々な見解があるでしょうし、好意的に解釈するなら「できなかった」のではなく彼女なりに考えた結果としての結論が「あえて告白をしなかった」というものだったのかもしれません。

 

しかしいずれにしても、うるかが告白に踏み切らないまま恋を諦めた事実(理由をきちんと描いて欲しかったですがさすがにテーマの歪みが大きすぎて不可能でしょうね………)に変わりはないため、あくまでもこのルートは唯我成幸と緒方理珠のハッピーエンドを描くためのものなんだよと。

 

そんな前提で読んでいくのが最適解なのかなと思います。

 

 

 

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ぼく勉 問151:「[X]=機械仕掛けの親指姫編」

 

さて。そんなわけで今回から大学生編の幕明けです。

 

高校時代からやり直すのではなく、大学時代のお話を成幸くんたちの新たな物語として紡いでいく。複雑な整合性は全て過去の出来事としてぶん投げ、新規エピソードとしての新鮮な感覚を読み味として提供する。

 

マルチエンドを受け入れた読者にとってはまさにwin-winな良展開で、細かいことは全て次元の狭間に置いてきた!探せ!欲しけりゃくれてやる!が通用する無敵の世界。

 

 

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一発目から添い寝

 

この世界線の運命力をもってすれば、成幸くんと理珠ちんのドキドキ添い寝イベントを1発目から読むことさえもできる。

 

細かい整合性を抜きにシチュエーションで勝負をしていくのが『ぼく勉』という作品の持つ元々の強みだったわけで、他ヒロインとの関係に気兼ねする必要がなくなったマルチエンド展開は、ある意味において作品のメインターゲット層を想定した選択と言っても差し支えがないのかもしれない。

 

 

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ここがユートピア

 

ヒロインの圧倒的可愛さ、夢にまで見た世界の構築。

 

『私(=緒方理珠)だけを見てください』

 

という扉絵のメッセージこそがマルチエンド展開の全てであり、筒井先生もきっとそういう風に楽しんでもらえることを望んでいる。

 

 

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緒方理珠可愛すぎる問題

 

ならば、ただただ緒方理珠の可愛さにのみ着目し、その行く末を見守っていくことがこのルートにおける本懐となるのでしょう。

 

そういう前提でいけば、今回のお話は個人的に1億点満点の出来だったと思っています。

 

 

 

緒方理珠ルートの展望

 

とはいえ、現状の2人がまだ付き合っているわけではない…という状況にある点が当然ながらミソですよね。

 

問111のエピソードを踏まえて「理珠ちん&関城さん」のルームシェア先に霊が出る設定を作り、理珠ちんが霊を怖がるから成幸くんが添い寝をする。

 

理珠ちんは成幸くんの「手」を握ることで安心して眠りにつき、そんな彼女の寝顔を見つめながら彼の中に「愛おしさ」が芽生えていく。

 

 

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もはやハイレベル

 

パリピの彼女持ち大学生ですら余裕で未体験horizonな3人川の字プレイという高次元シチュ(n回目)をこなしながらも、これでまだ2人は正式な交際に至っていない。

 

可愛い幽霊と鼻血まみれの親友が見守る中、

 

「唯我成幸にとって緒方理珠とは何か?」

 

という命題がいかにして描かれていくのか。

 

 

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緒方理珠とは何か

 

あの日、誰よりも早く彼に寄り添い、温かな「手」を差し伸べた緒方理珠の物語。

 

結末だけではない、過程にこそ宿る「輝き」や「涙」を大事にしながら、この先のお話を描いてくれたら嬉しいなと。

 

親友・関城紗和子の活躍(前に出過ぎると話がブレてしまうのであくまでも影からの支援という意味ですが…)にも期待しつつ、ここから始まる2人の恋物語を楽しみにしております。

 

 

 

 


 ※本記事にて掲載されている情報物は「『ぼくたちは勉強ができない』/筒井大志週刊少年ジャンプ」より引用しております。

『ぼくたちは勉強ができない』150話 感想:次のページは君と僕の手で…ラブコメのマルチエンドについて個人的に思うこと

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ぼく勉 問150 感想「[x]=…」

ぼくたちは勉強ができない』 最新話 感想 ネタバレ注意

 

なんやかんやの末にうるかが留学先から帰国し、成幸くんがお手製の指輪をプレゼントする形で一つの幕を下ろした今回の『ぼく勉』。

 

内容的には完全に最終回そのものとしか思えず、色々ありつつもついに終わるのか…なんて感慨に耽っていた僕でしたが、どうやら『ぼく勉』自体はまだまだ続いていく模様で、ここからは他のヒロイン達とのルートを1本ずつ順番に描いていく、いわゆる"マルチエンド方式"を展開する予定との情報が明かされていました。

 

 

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うるかエンドは5つあるルートの1つに過ぎなかった

 

まぁ言ってしまえばギャルゲー要素の強い(=1対1の個別回を中心にお話を構成してきた)『ぼく勉』だからこその"試み"ということになるのでしょうけれど、正直この点に関して賛否両論が読者の間で発生するのは至極当然のことだと思います。

 

ブコメや創作に限らず、喜怒哀楽の全てを包括したものが"感想"なのであって、それを否定する権利は誰にもありませんからね。それぞれが自分の感想を大切にしていけばそれでいいと思いますし、読み方は人それぞれ違って当たり前の世界。

 

なので、今回はそういう前提を元に、ラブコメにおけるマルチエンドについて個人的に思うところを書いていきたいなと思います。

 

 

 

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ぼく勉 問150:「[X]=…」

 

さて。そもそもなぜ「マルチエンド」がゲーム媒体で採用されやすいのかと言うと、それは当たり前なお話「物語の主人公=プレイヤー本人」という前提がゲーム世界においては担保されているからです。

 

プレイヤーの選択がゲームの進行に影響を及ぼし、その積み重ねが最終的な結末を決めていく。

 

そういった一連の体験行動にマルチエンド式ゲームの醍醐味があり、ユーザーもまたゲームを購入する段階でいくつかのルートに分岐していることを認識し、その上でゲームを楽しむ。ゲームとマルチエンドの間にシナジーが発生しているのは、ひとえにこういう仕組みが自然と成立しているからです。

 

とすると、一方の漫画媒体はどうか。主人公の唯我成幸くんは絶対的にただ一人しか存在しておらず、多様な人格(=好みや価値観と言い換えた方が正しいですかね)を有したプレイヤーの代わりには当然なりえない。

 

 

 

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武元うるかとは何か

 

例えばうるかルート世界線の成幸くんは「中学の頃からうるかを特別に想っていた」ことが明かされており、その前提の元でうるかの告白を皮切りに今のエンディングにたどり着きました。

 

しかし、他の子のルートではうるかがエンドヒロインとはなりえないわけですから、「胸の内に眠るうるかへの気持ちに気付かないまま」成幸くんが他の子に惹かれていく…という構図を自然と辿ることになるわけです。

 

 

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うるかに惹かれた唯我成幸の消滅

 

後夜祭の花火がルートの分岐点になる場合は「中学時代のやり取りや5年分のバレンタインを含む様々な積み重ね(=作中問69以前の事象)がそのまま起こった出来事」としてカウントされることになり、それらの過去をエンディングの決め手として第1のルートで扱ってしまった以上、第2ルート以降は「うるかに告白されなかったから愛おしいと気付けなかった」という構図にならざるを得ない。

 

唯我成幸という主人公の「人間性」が変わらない中でエンドヒロインだけを変えるということは、望まずともそういうモヤモヤを生み出すことに繋がってしまう。ちょっとしたきっかけで結末が変わる。それは即ち、一つ一つのルートから『重み』や『必然性』が損なわれてしまうことと同義だから。

 

多くのラブコメ漫画でマルチエンドが採用されていないのはおそらくこういう歪みをわかっているからで、軽々しく「マルチエンドはアリ!」と言ってしまうのは一つ一つの物語に対して無責任が過ぎる。この点だけはきちんと認識したうえでこの先のルートを読んでいきたいなと個人的には思っています。

 

 

 未来は僕らの手の中に

 

とはいえ、今の『ぼく勉』にそういう細かい整合性を求めているのかと言われれば、正直なところ僕個人としてはノーだったりします。

 

以前の感想で「過程の末に結論を導こうとしたというより、結論ありきで登場人物たちの行動を規定している印象がある」と書いたかと思いますが、マルチエンドの採用はまさしくその裏付けですよね。

 

他のヒロインたちが誰ひとりとして告白をしなかったことも、成幸くん自身がヒロイン達の気持ちに最後まで気付かない鈍感くん(潜在的に惹かれていたうるかに対してでさえ告白されるまで無自覚)だったことも。

 

全てがうるかエンドを描くための副作用で、そこに理屈を求める意味など全くなかったわけですから。

 

 

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マルチエンド

 

ゆえに、もう細かいことは全て忘れ、それぞれのルートを通じて明るい未来を掴んでいくヒロイン達の笑顔を楽しむことが現状最も幸せな読み方なのだと思うようにしています。

 

マルチエンドを選んだならマルチエンドにしかない楽しさをきちんと提供してくれればそれでいいし、どんな形であれ永遠に届かないと思っていた「未来」が描かれるのならやはり一読者として前向きに楽しんでいきたいなとも思っていますから。

 

 

 

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文乃さんエンドに期待

 

文乃さんと成幸くんの間にどんな恋のシナリオが用意され、2人がどのように手を取り合っていくのか。

 

マルチエンドを採用した『ぼく勉』だからこそ描ける物語に期待しております。

 

 

 


 ※本記事にて掲載されている情報物は「『ぼくたちは勉強ができない』/筒井大志週刊少年ジャンプ」より引用しております。