『ぼくたちは勉強ができない』76話 感想、ついにアニメ化!そして...武元うるかの”覚悟”と”青春”の先にある未来について...
ぼく勉 問76 感想「ゆく[x]の流れは絶えずして...」
『ぼくたちは勉強ができない』 最新話 感想 ネタバレ
祝・アニメ化!
みなさま朗報です!ついに『ぼく勉』のアニメ化が決定しました!もう本当に心から嬉しくてたまらないですね...。今は筒井先生への感謝と祝意で一杯ですよ...。6人がピースでアニメ化を喜んでいる今週の表紙も感無量の一言でした...。
連載スタートから1年半という期間でこういうお話が来るのは、一般的にとても順調なことなのでしょう。...とはいえ、ファンとしてはやはり「ようやく見れる...!」という気持ちもあったりで。動いたり喋ったりする文乃さんが今から楽しみで仕方ありません!
一体、いつから放送なのかなー。放送時期はまだ公表されていませんが、作品の内容を考えると新学期に合わせてきそうなので、来年の4月放送なのかも...と思いつつ、正式な続報を待ちたいところ。なにはともあれ、筒井先生、アニメ化本当におめでとうございます!
...というわけで。アニメについてはまた別の機会に語ろうと思いますので、早速今週の感想にいきたいのですが.......、その前に一言。
袴姿の文乃さんが超かわいい!
やっぱり...文乃さんと着物の組み合わせは半端ないって!和服似合いすぎて悶絶するしかないって!あぁ、ホント文乃さんは宇宙一かわいいなぁ........。(※個人の感想です。)
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うるかの国体優勝!
さて、今週の『ぼく勉』は我らが恋する乙女のうるかちゃん回です。
...が、まさかまさか、ここで「国体優勝」という大きなカードを切ってきました。アニメ化が発表され、絶賛盛り上がっている最中にこんな爆弾級の燃料が投下されるとは...、筒井先生本当に恐るべしでござるよ....。
読み始めこそ、国体の結果発表をさらっと伝えてくる随分と思い切りの良い展開をするもんだなぁ...という感じのお話でしたが、そこからまさかの2段構えというね...。今回の物語は今後のうるかエピソードを描いていくうえでの足場になる重要なお話になっていたと思います。
才能と努力の人「武元うるか」
「うるかの国体優勝」の報せを聞いた学園中の生徒たちは、みな彼女のこれからの活躍に期待を寄せています。
いや、もう学園だけのお話じゃない。雑誌にも特集され、「水泳界」の中でも一躍有名人になった。今までも、それなりの注目選手であったことは間違いないでしょうけれど、圧倒的なタイム差で国体優勝を果たしたともなれば、その注目度に変化が起こるのも当然というものでしょう。
当たり前なお話、「能力」というものは、それが「見えることで」初めて評価される類のものですよね。
雑誌に特集されたり、泳いでいる姿が動画にUPされたり。そうやって「結果」というわかりやすい指標で彼女の”凄さ”がインスタントに可視化できるようになったから、彼女のことをあまり知らない人たちでも、彼女の持つ「才能」やこれまでの「努力」を察することができる。それが「結果」の持つ大きな力なわけですね。
そして、そんな「彼女を取り巻く環境の変化」を目の当たりにした際の成くんの気持ちがこれまた印象的。実に彼らしい...というか、個人的に「あー、これ凄く気持ちわかるなー」という反応でした。
というのも、言い方はアレですけど、今回、彼女にサインを求めてる人達って、いわゆる彼女の叩きだした「結果」に惹かれた人達の象徴でしかないのです。昔から彼女の「頑張ってきた姿(=過程)」を見てきた成くんとでは当然立ち位置が違うんですよね。
彼女のスター性に惹かれた人達に対し、「あいつの努力が」認められるのが誇らしいと、彼女がスターになっていくまでの努力に惹かれた成くんとの対比。言ってしまえば、今回うるかを囲っていた人達は、彼の「気持ち」を浮き彫りにするための存在でしかないとも言えるわけですね。
その背景を踏まえると、「誇らしい気持ち」と同時に芽生えた「変なカンジだな...」という彼の感情がまた切なくもあって.....。
身近な存在だった友達の「努力」が認められていること。その「変化」に嬉しさを感じながらも、大切な人が自分の手の届かない場所にいってしまうような...、どこか”いつもと違うことに対する違和感”を成くんは微かに感じ取っていました。
でも.....、それは決して「気持ち」の上だけのものではありません。当たり前でかけがえのない毎日にも、いつか必ず終わる時が来る。そして.....、そんな「非日常への入り口」はもう彼らのすぐ側まで近づいていたのです。
武元うるかの”覚悟”!
国体での圧倒的な成績。それを評価されたうるかに、水泳の強豪オーストラリアへの海外留学のお話が来ていました。で、彼女は即答で行くことを決断。その理由は「やれること全部やりきってから泣いてやる」と決めたからだと彼女は言います。
もちろん、うるかだってわかっているんです。その「選択」をすることが、イコール成くんたちと離ればなれになることだと。きっと、一度行ってしまえば、帰ってくるまで、今までみたいに簡単には会えなくなる。それは当然辛いこと。
それでも...、ここで立ち止まるわけにはいかない。
だって、地区予選の際に見た後輩の涙が...、そして....、大切な親友たちと大好きな人の涙が背中を押してくれるんだから。だから、やり残したことなどないと、そう胸を張って言える日が来るまで、彼女が歩みを止めることはきっとこれからもないのでしょう。
やっぱり筒井先生は本当に凄い人だと思います....。中学の頃からずっと大好きで、それこそ成くんと少しでも一緒にいたいという理由で高校の進学先を選んでいたうるかに、「夢」のために自ら別々の道を進むことを選ばせる。他でもない彼女だからこそ最高に映える成長描写じゃないですか。もはや感無量としか言いようがありませんよ...。
しかも....。
「夢」に向かって突き進むうるかの姿は、真冬先生の教育論を肯定する生徒を描いていくという側面においても味わい深い描写になっていて、今週のお話はページを捲るたび胸が熱くなるばかりでした。
言ってしまえば、武元うるかという女の子は、桐須真冬という先生にとって「理想の姿」そのものなんですよね。
強い才能を持ち、それに向かって歩み続けている人...というだけでなく、その「夢」のために代償にしてきたもの(うるかの場合は勉強)を補い合える存在がいる。それは、過去の真冬先生ができなかったことであり、彼女が欲していた存在でもあったのかもしれません。
それを踏まえると、もし過去の桐須真冬の隣にも「唯我成幸」がいたなら...と思わずにはいられませんが...、まぁ、そこは今後の真冬先生エピソードで描かれていくことになるのでしょうし、今はまだ楽しみに待つとしましょうか。
うるかの”想い”が物語にどんな影響を与えるのか...?
というわけで、今回、「夢」に向かっていく強い意志を示し、成長を感じさせてくれたうるかですが、恋心方面では彼女らしい一面も見せてくれました。曰く、「留学の件 唯我くんには内緒にしておいてもらえませんか?」であります。
要するに、彼女は残された高校生活を最後の最後まで「今までどおりの関係性」でいたいのですね。変わらずにいたい。こんな毎日を繰り返していたい。同じ英文を「繰り返し読み込んでいくこと」というワードがそんなうるかの想いにかかっているかのよう。
でも、本当にそれでいいんでしょうか。美しい青春に出会った時、しばしば「こんな時間が永遠に続けばいいのに...」と思うことがありますけれど、でも”青春”の本当の価値ってそうじゃないと思うのです。
物語において”青春”の価値とは、同じ時間を繰り返すことではなく、昨日から今日へ、今日から明日へ時間を積み重ねること。「ゆく河の流れ」のように、変わっていくことこそが”青春”という時間の持つ一番の魅力なのではないでしょうか。
だからこそ、うるかには「恋愛」軸でも強い覚悟を示して欲しいと思ってます。いつか終わりが来る「青春」を過ごしている今だからこそ、ずっと言えなかった言葉を声にして欲しいのです。
残された時間を握りしめて。これからのうるかがどんな恋の輝きを見せてくれるのか、そこに全力で注目していく所存!うるかの未来に幸あれ!
※本記事にて掲載されている情報物は「『ぼくたちは勉強ができない』/筒井大志/週刊少年ジャンプ」より引用しております。
『五等分の花嫁』50話 感想、繋がる心と重なる未来!ここから風太郎たちの”新しい物語”が始まる!
五等分の花嫁 50話 「七つのさよなら⑫」 感想
五等分の花嫁 最新話 感想 ネタバレ注意
今週の『五等分の花嫁』を読了しました。
前回からの流れを踏まえても、今週のお話がとても重要なエピソードになるだろうということは想像に難くなかったのですが、そんな予想もなんのその。遥か上を行く面白さを叩きつけられて現在進行形で脳がやられております。あぁ、本当にこの作品は面白すぎるよ...!(魂の叫び)
そんな心境のなか、幾ばくかの冷静さを携えながら感想を書いていくのは至難の業ではありますが...、なるべくいつもどおり書いていきたいと思います。今回の物語では、「過去」と別れ、「未来」へと向かっていくフータローと五つ子たちの「気持ち」、そして「覚悟」が印象的に描かれていました。
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素直な気持ちをぶつけ合って!
前回、自分たちの元から去ろうとするフータローに対して「決意」の表情を浮かべていた五つ子たち。そして、今回先陣を切ってフータローに「素直な気持ち」をぶつけたのは二乃でした。
これにはおそらく意味があります。彼に直接「あなたが必要です」と言った五月でも、誰よりも真っ直ぐな好意を示してきた三玖でもなく、二乃が五つ子を代表して、フータローへ想いを語った理由。そこに今週のお話のポイントがある。
というのも、今回の物語の核はやっぱり「素直な」気持ちなんですよ。要するに、これまでなかなか「素直」になれなかった二乃が、今度はフータローの『心の扉』を開く役割を担う構図になっているのです。「七つのさよなら」編が二乃の成長をテーマにしてきたことを踏まえれば、まさにこれはその集大成とも言える描写ですよね。
その証拠に、今回の物語の前半でフータローが家庭教師を辞任する理由として挙げていたものは、全て「理屈」で語れるもの(=「素直な気持ち」と対になるもの)しかありませんでした。
「二度のチャンスで結果を残せなかった」「だったらプロに任せるのが正解だ」。それはもちろん、彼が姉妹たちのことを考えて出した結論ではありますが、そこには他ならぬ「彼自身の気持ち」が含まれていないんです。
つまり「どうしたいか」ではなく「どうあるべきか」で語っているから、彼が必要だという「気持ち」で動く彼女たちと、フータローの間にはすれ違いが生まれてしまうのですね。
そんなフータローに対して、自分の言葉で「素直な感情」をぶつける二乃の姿がとてもいじらしいじゃないですか.......。
「ここまでこれたのは全部あんたのせい」「最後まで身勝手でいなさいよ」。一見すると素直ではないように思えるこの言葉の中に、彼女の精一杯の「素直」が詰まっている。どこまでも彼女は、彼女らしいままに、成長を遂げたんだなぁ...というのがわかる本当に素晴らしいシーンだったと思います。あぁ、本当に今週の二乃は可愛すぎるよ..!(悶絶)
彼と彼女がこれから歩いていく道、”新しい物語”
また、今回のお話で注目すべきは、やはり彼女たちが「新しい家」を借りていたことでしょうか。全く予想していなかったというわけでもありませんが、正直この展開の美しさには圧倒されました。
ここ数週の感想でも書いてきたとおり、フータローが家庭教師の任を降りるという決断をしたこの一連のエピソードには、彼と彼女たちの結びつきを「外的要因(=義務、仕事としての家庭教師)」から「内的要因(=気持ち)」へとシフトさせるという狙いがあったんだと思います。それは今週の二乃の姿を見ても明らかでしょう。
しかし、そこから更に「新しい家」という要素を描くことで、気持ちだけではない、彼女たちの「覚悟」を示してきたわけですね。
「七つのさよなら」が掲げる”過去”から”未来”へというムーブメントの中に「中野家(過去)」→「新しい家(未来/巣立ちの象徴)」が加わった。テーマを重視しながら思い切りの良いストーリーメイキングを繰り広げる、実に春場先生らしい展開です。
そして....、前回の感想でも言及しましたが、「大切なのはどこにいるかではなく五人でいること」というセリフをこういう形で活かしてくるのが本当に凄いと思うんですよ。七つのさよなら編をこう締めてくるのか...!と驚愕しきりでした。
というのも、このセリフって、二乃と五月の「家出騒動」とフータローの「辞任問題」を経て、”一緒にいること”の大切さを改めて彼女たちが痛感してきたからこそ活きてくる描写でもあるんですよね。
大切なのは”みんな”でいることであって、場所は関係ない。”みんな”がいる場所こそが、自分たちの帰る場所。お母さんが言っていたからではなく、一度バラバラになった彼女たちだからこそ、心からその言葉の持つ意味を理解することができる。きっと、この点もまた長編シリーズが内包する大きなテーマの一つだったのではないでしょうか。
過去へのさよならと「未来」を選んだフータロー
加えて、今回の描写の中でこれまた面白いなと思ったのが、川へと転落したフータローを助けるために5人全員が飛び込んでいくシーン。個人的にとても印象深い描写でした。
無論、このシーンを描いた理由は、42話における零奈との対比関係を示すためでしょう。
池に落ちたフータローへ「さよなら」を告げた零奈に対し、今回は5人全員がフータローの元に飛び込んだ。要するに、「さよなら」と対になる彼女たちの想い(=フータローと一緒にいたいという気持ち)を表現する描写として、川に飛び込むという行動が描かれたわけです。
じゃあ、一方のフータローはどうなのか。
そこが今回の物語のキモでもあったわけですが、まさか零奈から渡された「彼女の正体に繋がる手ががり(=過去の象徴)」を振り切って、二乃を助けるという展開にしてくるとは...。「過去」への未練を断ち切り、しっかりと「これから」を選択したフータローの姿は、もう感無量としか言いようがないほどのインパクトがありました......。
しかし、考えてみればやっぱりこうなる以外の展開はなかったのだとも思います。だって、「写真の子」は初めて彼を必要とし、彼の隣に立ってくれた人でしたけれど、今の彼にはもう心から自分を必要としてくれる人たちが5人もいるのですから...。
だから、もう大丈夫。5年前の”思い出”にきちんと区切りをつけて、「これから」は5人と一緒に新しい”思い出”を作っていける。きっと、零奈へ「さよなら」を告げたフータローの表情には、そんなメッセージが込められているのでしょう。
ずっと見つめ続けてきた「過去」のしがらみ。そこから解き放たれ、前を向き始めた彼は、五つ子たちと一体どんな「未来」を歩んでいくのでしょうか。それを思うと、楽しみで仕方ありませんね!
二乃が掴んだもの、その気持ちについて
というわけで、色々と感想を書いてきましたが、最後に少しだけ、二乃について触れていきましょうか。今週のキーマンはやはり二乃だと思いますから!
そもそも「七つのさよなら編」という長編ストーリーを経て、二乃は一番大きな変化を遂げてきた子でした。
印象的な点を言えば、「過去」との向き合い方が変わったし、それに伴って髪型も変わった。今回、あそこまで「飾らない気持ち」を剥き出しにしながらフータローに向きあっていく姿を見せたことにしても、昔の彼女であればありえなかったことでしょう。
そして、極めつけはやはりフータローに対する「気持ち」の変化です。
溺れているところをフータローに助けられ「ドキドキ」が止まらなくなっている二乃の姿は、明らかに「信頼」という枠を越えた感情の芽吹きを予感させるもの。どう見ても...なシーンであることは言うまでもないですよね。
とはいえ...、今回の一件は、彼女にとってスタートラインでもあります。要するに本番は「これから」。五月は少しばかり例外ですが、『五等分の花嫁』という作品において、それぞれが抱えていた悩みにきちんと向き合い、フータローと信頼を結ぶことは、あくまでも彼女たちが今後抱いていく「特別な感情」への入り口なんですよね。
ゆえに、三玖や一花さんがそうであったように、その『心の扉』の先にある恋心とどう向き合っていくのか、それこそが今後の二乃エピソードの主題になっていくのでしょう。花火大会の頃には掴みきれなかった「気持ち」をようやく掴んだ二乃がこれからどう変わっていくのか、わたしとても気になります!
...というわけで、今週の感想を総括すると.....
今後描かれていく”新しい物語”に期待大!
三玖は今週も最高に可愛かったなってことです!
「成功は失敗の先にある」、フータローが語ってきた言葉はやはり彼女の中でいつまでも生き続けていくんですね。こういう好きな人に対する「真っ直ぐさ」こそが彼女の魅力の根幹なんだなぁ...というのを再認識させられる回でもありました...。
さて、これで全12話をかけて紡がれてきた「七つのさよなら」編も無事に大団円でしょうか。
「過去」を抱きしめて、いつか、かけがえのないの思い出へと変わっていく、「未来」へのスタートを切った彼と彼女たち。お互いの大切さを再確認した彼らが、「これから」どんな明日を歩んでいくのか。ここからが本当のはじまりですね!
※本記事にて掲載されている情報物は「『五等分の花嫁』/春場ねぎ/週刊少年マガジン」より引用しております。
『ぼくたちは勉強ができない』75話 感想、止まらない緒方理珠の恋心!その気持ちが向かう先は...?
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『ぼくたちは勉強ができない』 最新話 感想 ネタバレす
今週の『ぼく勉』は理珠ちん回です!
以前から申し上げているとおり、個人的に理珠ちん回は凄く大好きなお話が多いんですが、ここ数回の理珠ちんエピソードは特に面白いですね。最近のお話を読み返していると、彼女は本当に可愛くなったなぁと感じます。
まず、表情が豊かになったと思うんですよ。もちろん、筒井先生の絵がどんどん魅力的なものになっているという見方も出来るのですけれど、きっとそれだけではありません。成幸くんと出会ったばかりの4月の頃と比べても、明らかに彼女は色んな表情を見せるようになった。この点もまた彼女の「変化」を示すポイントの一つではないでしょうか。
加えて、今週のお話を読むと分かりやすいですが、理珠ちんの物語は『ぼく勉』という作品の中で描かれている「成長軸(=勉強)」と「恋愛軸」の2つの軸が上手に重なり合うようにお話が展開されているんですよね。
彼女が目指す「夢」と彼女の「気持ち」が向かう先は同じ。正確に言うなら、唯我成幸に恋をすることでその2つが繋がったのです。これは作品的にも非常に重要な意味を持っているんじゃないかなと。
初期の頃から大事に育てられてきた緒方理珠の持つ魅力。それがここに来て花開いてきているのかもしれません。
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メイド in 理珠ちん!
す、素晴らしい・・・
さて。今週は、あしゅみー先輩のバイト先であるメイド喫茶「High Stage」で開催されることになった「ボドゲイベント」を、理珠ちんたちが手伝うことになるところからお話が始まっていきます。ここにもまた第1話の頃と比べた理珠ちんの成長を示唆するものが描かれていました。
そう、その一つがバストサイズ。「F」から「G」ですよ!まったく.....、そりゃ胸元もきつくなるでしょうに.....。本当に感謝しかありません!
いやはや、やはり筒井先生は神ですね。実に男心をわかっていらっしゃいます。真冬先生やあしゅみー先輩のメイド服姿も大変素晴らしいけれど、メイドさんの衣装が似合う女の子と言ったら、「童顔で、(背が)小さくて、(胸が)大きい」と相場が決まってるんですよ。...というか、いま僕が決めました。(真顔)
し・か・も!このイチャイチャっぷりがまた最高なわけで...。
こういうときって普通は恥じらうもんじゃないですか。真冬先生がしたみたいに。ハッキリ言えば、それが王道のニヤニヤパターンなんです。
それなのに、「ちゃんと隅々まで見て言ってください!!」ときたものですよ。軽く悶死するかと思いましたね。思わず夫婦ですか!?と言いたくなるイチャつきぶりでさえありました。
もちろん、これは理珠ちんの「無自覚さ」を象徴する描写でもあります。しかし同時に、理珠ちんならではの魅力の表現でもある。62話でも描かれていたように、短所は視点を変えれば長所になりうるわけですね。
しかし、第1話の頃から語られてきたとおり、彼女の「夢」は人の感情を理解することです。そして、その理由は「大好きなゲームで勝てるようになるため」。それが彼女が「心理学」を学ぼうと考えた出発点でした。
じゃあ、もしゲームに勝てるようになったら、彼女の「進路」はどうなるのか。今回は(当然彼女の力ではなくあしゅみー先輩と成幸くんの援護によってではありますが)理珠ちんに勝利の経験をさせることで、その疑問点が浮き彫りになるのですね。
「もし本当にゲームで勝てるようになれてたら...心理学に進む意思...変わっちゃってたか」どうか。要するにこれは、ゲームで勝てるようになれてたら、彼女が勉強を続ける理由はあるのか...ということを確かめるための問いでした。
そして、彼女も言っている通り、4月の頃の彼女ならば無論、この答えは「はい」だったと思います。だって、そもそも勉強をする「動機」がない。ゲームに勝てるのなら心理学を学ぶ必要もないし、勉強をする理由もありません。もっと言えば、唯我成幸くゎと今の関係性になることもありませんでした。
でも、今の彼女と半年前の彼女は違う。あの頃には持っていなかった「気持ち」を今の彼女は持っているのです。
変わらない夢と、変わっていく気持ち
...今はもっと知りたい
人の気持ち 自分の気持ち 成幸さんの....
だから...何があっても変わりません
そう、これこそがこの半年の間に理珠ちんが獲得してきた「気持ち」でした。
もちろん、彼女の「夢」が変わったわけではありません。「人の気持ち」「自分の気持ち」を理解したい。その想いは彼女の中でも今なお生き続けている。これからも変わることはないでしょう。
でも、そこに特定の人物が加わった。「成幸さんの....」気持ちが知りたい。それが今の彼女にとって「心理学」を学ぶ一番の大きな動機になった。
要するに、彼女の「夢」と彼女の「恋心」が同じ方向を向き始めたということですよね。これまでは、ゲームに勝つことが一番の「動機」だったけれど、今は「成幸さんの気持ちを知ること」が、彼女が勉強を続ける一番の理由になっている。これは勉強とラブコメの2つをテーマにしている『ぼく勉』という作品において、とても重要な点なのだと思います。
そして、これからの彼女の物語のキモは、どうして「成幸さんの....」気持ちを知りたいと思ったのか、その「理由」を突き詰めていくことにあるのかもしれませんね。
ゲームに勝つためでもないのに、なぜ「彼の気持ち」が気になるのか。その「理由」に気付いたとき、彼女は「自分の気持ち」を理解することになるのでしょう。
「勉強(=国語)ができるようになること」と「自分の気持ちを知り、その先にある成幸くんの気持ちを知ること」が明確に繋がった理珠ちんの物語。『ぼく勉』の2大テーマ(勉強と恋愛)が少しずつ交差し始めている彼女のエピソードにこれからも注目です!
というわけで、今週の感想をまとめると.......
超重大発表に期待大!
来週の「超重大発表」が超楽しみだってことですよ!しかも表紙&巻頭カラーですからね、さすがに期待せずにはいられません。
あぁ......、動く文乃さんが見れたり、文乃さんの声が聴ける日がついに来るのかなぁ....。あぁぁぁぁ、生きる糧が増えるぞ!
とりあえず、来週のジャンプを震えながら待つことにします。あと、メイド姿の文乃さんが描かれる日も心待ちにしております!(土下座)
※本記事にて掲載されている情報物は「『ぼくたちは勉強ができない』/筒井大志/週刊少年ジャンプ」より引用しております。
『ぼくたちは勉強ができない』感想、桐須真冬先生の過去と”やりたいこと”を貫く少女たちについて考察してみよう!
ぼく勉 感想・考察「桐須真冬先生の過去について」
『ぼくたちは勉強ができない』 最新話 感想 ネタバレ
先週のジャンプは合併号だったので今週の『ぼく勉』はお休みです。(明日にはもう次週のジャンプが発売されますけどね!)
というわけで、これまでのおさらいも兼ねて、以前からブログで語ろうと思っていた真冬先生の「過去」について今回は少し触れていこうかなと。やっぱり「桐須真冬」という人の「過去」は作品の中でも非常に重要なウエイトを占める部分だと思うので。
”できること”と”やりたいこと”が致命的に異なっている少女たちの物語。そのテーマを軸にした『ぼく勉』というストーリーの中で、主人公たちの考えに一石を投じながらも、少しずつ変化を遂げようとしている真冬先生の姿に、筒井先生はどんなメッセージを込めるのか。今回はその点を掘り下げていこうと思います。
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桐須真冬が抱える「後悔」とその礎として生まれた教育論
フィギュアスケートが自分の全てだった...。「過去」の桐須真冬は、そんな女の子でした。
なにかを「選ぶ」ということは、往々にしてなにかを「選ばない」(=諦める)ことでもあります。限られた時間の中で、なにかに本気になれば、その分なにかが犠牲になる。残酷なようですが、『現実』とはそういうものですよね。
学生時代の全てをフィギュアスケートに捧げ、いくつもの賞を勝ち取ってきた真冬先生も過去にそんな現実と向き合ってきた人でした。
彼女の自室に飾られていたトロフィーの数々。それは過去の彼女が自分の「才能」(=”できること”)を最大限に活かす「選択」をしてきたことを証明するものですが、同時に、「選ばなかったもの」があることを示してもいる。手にしてきたトロフィーの数だけ、その裏にはたくさんの「諦めてきたもの」があったわけですね。
実際に、彼女が「選ばなかった」ものはこれまでのエピソードの中でも幾度となく描かれています。
文化祭に参加することも、学校帰りに寄り道をして友達と談笑をした記憶も、誰かと「恋人同士」に見えるような出来事も学生時代には経験できなかったと語る真冬先生。その表情はどこか儚げで、手の届かないもの(=過去)を見つめているかのようでさえありました。
...とはいえ、学生時代の真冬先生が「選択」してきた、フィギュアスケート選手という道に「後悔」があったかといえば、もちろんそうではありませんね。むしろ、今の彼女は誰よりも「あの頃の時間」を肯定しています。「限られた大切な時間」と自ら評しているくらいに。
それなのに.....、「一時の感情」でその時間の全てを台無しにしてしまった。それこそが彼女にとっての「後悔」。今なお、彼女の考え方に影響を与えている「失敗の象徴」。
真冬先生の「後悔」は非常に複雑なものです。彼女が失ったものは「フィギュアスケート選手」としての道だけじゃない。それまでの彼女はあらゆるものを犠牲にして、人生の全てをその道にベットしてきたのですからそれは当然でしょう。
幼いころから「まわりは全て敵だ」と教え込まれ、たくさんのものを犠牲にしてまで「選んできた」はずの道。フィギュアスケートは文字どおり、それまでの彼女の人生の全てでした。だからこそ、その道に費やしてきた時間も、その裏で犠牲にしてきたものも、全てが無駄になったと彼女は思っているのです。そして、それこそが彼女の教育論の原点になっている。
そんな真冬先生の教育論に説得力を感じる人も多いのではないでしょうか。作中の言葉を借りるならとても『現実』が見えている意見だと僕も思います。
でも、きっとそう感じるのは『現実』を見てきたからなんですよ。真冬先生も僕らも。要するに「大人」になってしまったんですね。「学生」ヒロインに対して「先生」ヒロインを対比的な立ち位置で登場させた理由もきっとこのため。
子供の頃って「できない」ことがたくさんありました。それでも毎日が楽しかった。少しずつ何かができるようになって、なにかを知って、世界が広がって。できるとか、できないとか、そんな風に壁を作ることなく、”やりたいこと”にまっしぐらでいられた。それを実践しているのが今の文乃さんたちです。実に「少年ジャンプ」のヒロインらしいあり方ですよね。
そして、かつての真冬先生もそんな想い(”やりたいこと”に向かっていく気持ち)を持っていたはずです。
「いつもがんばっててえらい」という言葉から見える真冬先生の気持ち。自分の”やりたいこと”のために、できないことに挑んでいる彼らを見て、彼女はそんな気持ちを少しずつ取り戻してきているのではないでしょうか。
もちろん、彼女の「過去」について詳細な部分はまだわかりません。46話で美春さんが言っていた、彼女と両親との関係を鑑みるに、子供の頃から両親が敷いたレールの上を彼女は歩いてきたのかもしれませんし、それに関して真冬先生がどう思っていたのかは、まだ彼女しか知らないこと。
でも、彼女がそれまで歩んできたレールを踏みはずすきっかけになった「一時の感情」って、言い換えれば、”やりたかったこと”ですよね。
真冬先生はそれを”無意味な道”と言っていて、その選択を失敗だと感じているわけですが、その道がどこかに繋がっていることだってあります。フィギュアスケートというレールには戻れなくってしまったけれど、それゆえに繋がったレールがある。それがきっと、彼女の現在である「教師」というレールです。
要は考え方一つなんだと思います。「過去」は決して変わらないし、一度抱いた「後悔」が完全に消えて無くなるようなこともありません。振り返ればいつだってそこにありますから。でも、その「過去」の後悔に意味を見出せば、”無意味”じゃなくなる。それが「過去」と向き合うということ。
個人的にはそこが、真冬先生エピソードの終着点になるんじゃないかなと。
読者視点では、それこそ「平行線」な教育論を持つ唯我成幸に負けないくらい生徒のことを考える良き「先生」であり、彼女が「教師」という職業に対して、どういう想いを抱えているのか、その心構えや真摯さが幾度も示されているわけですが、当の本人は未だに心の内側で戻れない「道」(=才能を活かす道)への未練が残っているんですよね。その証として彼女の教育論があるとも言えるのです。
「後悔」があるのは、彼女が「今」よりも「過去」の道を肯定しているから。だからこそ真冬先生にとって、「教師」という道(=”一時の感情”を含めた今に至るまでの全て)が「フィギュアスケート選手」としての後悔(=ありえたかもしれないifの道)を乗り越えた時、彼女の物語はひとつの節目を迎えるような気がします。きっと、彼女の「教師」としての道を肯定する存在が、異なる教育論を持った唯我成幸という「生徒」になっていくのでしょうね。
桐須真冬がたどり着くのは小美浪あすみのメンタリティ
また、桐須真冬という人を語る上で外せない人物があしゅみー先輩です。
なぜなら、「真冬先生⇔文乃さん・理珠ちん」という現在の対立関係に対して、あしゅみー先輩は1年前から真冬先生とこの関係にあった人物だから。要するに、文乃さんたちから見れば、あしゅみー先輩は、自分たちの未来に関する一つの可能性とも言える存在なわけですね。
小美浪あすみという人もまた”できること”と”やりたいこと”という(作品世界における)「二項対立」のなかで、後者を「選んだ」人です。医学部に入って実家の診療所を継ぐ。それが他でもない彼女の「やりたいこと」。
当然、あしゅみー先輩もこの「選択」をしたことによって「諦めてきた」ものがいくつもあったはずです。前述したように、なにかを「選ぶ」ことは、なにかを「選ばない」ことですし、学生時代の進路なんてその最たる例ですよね。
彼女の父が言うように、医者になることが人生の全てじゃない。自分に合った道(="できること”)を選んでいれば、彼女の成績なら「浪人」をすることはなかった。40話で楽しそうな大学ライフを満喫しているかつての同級生を描いたのも、彼女にだって今頃こういう道があったかもしれないという可能性を提示するためでしょう。
しかし、彼女は浪人という道を選んだことを「後悔」はしていません。これが真冬先生とあしゅみー先輩の「過去」に対する向き合い方の決定的な違いです。
もちろん、あしゅみー先輩だって思うところがないわけじゃない。もっと勉強していれば...という反省はあったでしょうし、かつての同級生を見て羨ましいと思う気持ちがあったことも事実。実際に、自分の選択が正しいのか、間違いなのか、不安になることもあると等身大の悩みを打ち明けてもいました。
そりゃそうですよね。「未来」を考えれば不安になるのは当然です。それは誰だって同じ。自分の「できないこと」「苦手な分野」に飛び込んで、結果を勝ち取ることは無論、簡単なことじゃない。10代の女の子が何の迷いもなくこの「選択」をしてしまえることの方がよほど不思議な話でしょう。
でも、不安になることはあっても、「この道を選ばなければ...」という後悔を彼女は一度として口にしたことはないのです。だって、それが彼女の”やりたいこと”だから。
もし、この道から逃げていたら、それこそが彼女にとって「後悔」になりうるだろうと思えるほどに、彼女は医学部進学に対して強い動機を持っている。これが、小美浪あすみという人のメンタリティです。
そして、そんな彼女のメンタルを支えてきたのが、真冬先生の「教育論」だったというのが非常に面白いですね。対立はしているけど、真冬先生のあり方に感謝もしている。このあしゅみー先輩のスタンスは、とても重要な考え方になるのかもしれません。
きっと『ぼく勉』という作品が伝えたいことは、なにが正しいとか、なにが間違いとか、そういう話ではないんだと思います。ただ、人の「考え方」や「想い」があるだけ。だから、真冬先生の教育論が間違っているわけでもないし、成幸くんの教育論が絶対的に正しいわけでもない。
16話で真冬先生は、文乃さん達の言い分に合わせたやり方をしていたら「あの子達は不幸な人生を歩むことになるわ」と言っていました。
でも、仮に結果がどうであれ不幸かどうかを決めるのは文乃さんたち自身であって真冬先生じゃないのです。浪人という結果になっても、「過去」への後悔に縛られることなく、胸を張って今なお”やりたいこと”を貫こうとしているあしゅみー先輩の姿が、何よりもそれを証明しているのでしょう。
「できない」ことに挑み、「冬」を越えて、それぞれの「春」を目指すヒロインたち。
”やりたいこと”をやり切った彼女たちの「未来」には、なにが待ち受けているのでしょうか。そして、そんな少女たちの姿を見守りながら、桐須真冬というヒロインはどんな「春」を迎えるのでしょうね。
『ぼく勉』は、恋愛方面の結末ももちろん気になりますが、時には違ったフィルターを通して読んでも楽しめるのが素晴らしいなと個人的には思ったり。いつか、真冬先生の心からの笑顔が描かれることを心待ちにしております!
※本記事にて掲載されている情報物は「『ぼくたちは勉強ができない』/筒井大志/週刊少年ジャンプ」より引用しております。
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五等分の花嫁 最新話 感想 ネタバレ注意
祝・アニメ化!
今週の『五等分の花嫁』は連載1周年&センターカラーです!
そして、なんと....このタイミングでアニメ化が決まりました。まさかこんなにも早くアニメ化が決まるとは...。少し気が早いですが、今から動くフータローたちを見られる日が楽しみで仕方ありません!
正直に言えば、いつかはアニメ化してくれるだろうという期待感はありました。だってこの作品は本当に面白いですから。今、最も読ませるラブコメ漫画を紹介するなら、なんの迷いもなくこの作品をオススメできるほどに凄い漫画です。
「五つ子」という目を引く設定に負けないくらい、しっかりとした世界観やテーマが作品の中に根付いていて、かつ出会うことから成長していく「ボーイミーツガール」ものとしての王道も外さない。毎週水曜日、最新話のストーリーを読むことにここまでワクワク出来るのも、恋愛という枠を超えて、彼・彼女たちがどういう風に「成長」していくのか、その「未来」について考えさせられるからでしょう。
そして、個人的に何よりもこの作品で好きなところはきちんと「人間」を描いているなぁと思えるところです。時に本気ですれ違ったり、本気でぶつかったり。成長の過程できちんとその人の「ダメなところ」も見せる。それぞれの「迷い」を掘り下げ、その過程にある葛藤をきちんと読者へ提示しているのですよね。
もちろん、それによってヒロインたちに対しての(読者が抱く)好感度に影響を与えることもあると思います。でも、迷わない人間に成長はない。迷って、悩んで、考えて、その先に、信頼や成長があるんです。
そのリアルにしっかりと向き合ったストーリーだから僕らも彼女たちの「気持ち」を考えながら読むことが出来る。文字どおりに「共感」出来る。同じ「人間」として。そう思わせてくれる所がこの作品の魅力と言えるのではないでしょうか。
ひとまず、アニメ化について思うことや期待することはまた後日別記事で書きたいと思いますので、早速、最新話の話について気になった点に触れていきましょう。
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フータローの家庭教師退任を知った彼女たちは...
前回、自身の力不足を痛感し、五つ子たちを想う故に、彼女たちの家庭教師の任から降りることを決意したフータロー。
その事実を知ったとき、一体彼女たちがどういう反応を見せるのかが気になるところでしたが、あまりにも突然のことすぎて信じられないという様子から描かれているのがとても面白いなと。何気ないですが、個人的には非常に印象深い反応でした。
というのも、既に彼女たちにとってはフータローと過ごす時間が「日常」の一部になっているんですよね。だから、フータローが中野家に訪れないというのは言わば異常事態。二乃や五月が家出をした時と比べても何ら遜色ないインパクトが彼女たちに降りかかっているように見えるのもきっとこのためでしょう。
要するに、始まりは異分子でしかなかったはずのフータローが、もう全員の輪の中に自然と溶け込んでいるのです。
四葉ちゃんが、「また”みんな”と一緒に頑張れるのが楽しみ」と言っているように、「みんな」の中にフータローも当たり前のようにカウントされている。それを全員が受け入れているんですよね。だから、「みんな」がフータローの退任に納得がいかない。
そして、それはこれまで五姉妹と過ごしてきた日々の中でフータローが獲得してきた「信頼(=必要とされること)」を表現するものでもあります。言い換えれば、彼と彼女たちの間にあるものが「勉強」だけではないことのシルシ。ゆえに、(当たり前な話ではありますが...)たとえどれだけ優秀な家庭教師が代わりにいても、彼の代役なんてこの世界に誰一人としているわけがない。
意識的か無意識的かはともかく、「勉強」を教えて欲しいだけの理由で彼女たちはフータローを求めているわけじゃないのです。それぞれに程度の差はあれど、彼女たちが抱える想いは、「勉強」を教えてもらうという点にではなく、『”フータローと一緒に”』という部分に力点があるんですよね。
その証拠に、彼女たちはもう「自分でも不思議なほど問題が解ける」ようになっているんですよ。
もちろん、それは二乃の言うようにフータローのおかげですし、成長したとはいえ、期末試験では未だ全員が揃って赤点を抱えている彼女たちですから、まだまだ未熟もいいところ。最終的にフータローの作ったカンニングペーパーに頼る姿を描いたのも、彼女たちにはまだフータローが必要であることの示唆でもあるのでしょう。
しかし、「七つのさよなら」編のテーマの一つが、未成熟だったひな鳥たちが自らの翼で巣から飛び立つことであったように、彼女たちは自分たちの力で問題が解決できるまでの成長をまさに遂げようとしているんです。
だから、彼女たちにフータローが必要だと思う反面、フータローのメッセージにもあった「これからは自分の手で掴み取れ」というメッセージもまた正しいんだと思います。それこそフータローがいなくても今度は自分たちの力で赤点を回避することがもしかしたら彼女たちにはできるのかもしれません。
それでも、彼女たちがフータローを求める理由。その根底にある想いはなんなのか。それこそがポイントなのでしょう。
それぞれに少しずつ違ったセリフで反応を示した5人。しかし、気付けば全員が同じ方向(=フータローへの想い)に向かって、同じ表情を浮かべている姿が描かれていました。物語の始まりを思うと、なんだか今週のお話は本当に感慨深いものがありましたね....。
五つ子たちの成長!クリスマスに何が起こるのか!?
さぁ、一花さんの提案の元、五つ子たちは何かの決心を固めました。その力強い表情の5人を見た江端さんが「大きくなられましたな」というように、きっとあの頃の彼女たちにはなかったであろう”強さ(成長/勇気)”がこの表情に集約されている。
彼女たちの「成長」を描きながらも、彼女たちがフータローを「必要」とするのはなぜなのか。大切なのはきっと「気持ち」です。家庭教師という大義名分や義務が一度取り払われ、また彼女たち自身が「自立」を果たそうとしている今だからこそ、描けるものがある。
「自立」って頼らないことではないですから。むしろ、本当の意味で誰にも頼らずに生きていける人なんていない。誰かを信頼し、心の底から「一緒にいたい(=必要だ)」と思えることもまた立派な”成長の証”です。第一話から『五等分の花嫁』という物語を通して描かれてきた五つ子たちの姿を振り返ればそれは明らかでしょう。
そして、クリスマスイヴの日に一体何が起こるのか。
36話で四葉ちゃんが「大切なのはどこにいるかじゃなく 五人でいること」というお母さんの言葉を引用していましたが、きっと、今年のクリスマスは”6人”でいることがキモになるんじゃないかな。
南の島よりも、北の大地よりも、ここにある「日常」が特別。今年のクリスマスは彼女たちにとってそんな日になるんだと思います。そう思える下地が今週のお話(=フータローという日常の喪失)で描かれていたのではないかなと。
このタイミングでお盆に突入し、二週間先までおあずけというのも気になりますが、それ以上にアニメ化も決まったので気持ちは上々ですよ。春場先生、アニメ化&連載一周年本当におめでとうございます!これからも末永く応援しております!
※本記事にて掲載されている情報物は「『五等分の花嫁』/春場ねぎ/週刊少年マガジン」より引用しております。