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『ぼくたちは勉強ができない』感想、桐須真冬先生の過去と”やりたいこと”を貫く少女たちについて考察してみよう!

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ぼく勉 感想・考察「桐須真冬先生の過去について」

ぼくたちは勉強ができない』 最新話 感想 ネタバレ

 

先週のジャンプは合併号だったので今週の『ぼく勉』はお休みです。(明日にはもう次週のジャンプが発売されますけどね!)

 

というわけで、これまでのおさらいも兼ねて、以前からブログで語ろうと思っていた真冬先生の「過去」について今回は少し触れていこうかなと。やっぱり「桐須真冬」という人の「過去」は作品の中でも非常に重要なウエイトを占める部分だと思うので。

 

 ”できること”と”やりたいこと”が致命的に異なっている少女たちの物語。そのテーマを軸にした『ぼく勉』というストーリーの中で、主人公たちの考えに一石を投じながらも、少しずつ変化を遂げようとしている真冬先生の姿に、筒井先生はどんなメッセージを込めるのか。今回はその点を掘り下げていこうと思います。

 

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桐須真冬が抱える「後悔」とその礎として生まれた教育論

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真冬先生の過去

 

フィギュアスケートが自分の全てだった...。「過去」の桐須真冬は、そんな女の子でした。

 

なにかを「選ぶ」ということは、往々にしてなにかを「選ばない」(=諦める)ことでもあります。限られた時間の中で、なにかに本気になれば、その分なにかが犠牲になる。残酷なようですが、『現実』とはそういうものですよね。

 

学生時代の全てをフィギュアスケートに捧げ、いくつもの賞を勝ち取ってきた真冬先生も過去にそんな現実と向き合ってきた人でした。

 

彼女の自室に飾られていたトロフィーの数々。それは過去の彼女が自分の「才能」(=”できること”)を最大限に活かす「選択」をしてきたことを証明するものですが、同時に、「選ばなかったもの」があることを示してもいる手にしてきたトロフィーの数だけ、その裏にはたくさんの「諦めてきたもの」があったわけですね。

 

 

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真冬先生が犠牲にしたもの

 

実際に、彼女が「選ばなかった」ものはこれまでのエピソードの中でも幾度となく描かれています。

 

文化祭に参加することも、学校帰りに寄り道をして友達と談笑をした記憶も、誰かと「恋人同士」に見えるような出来事も学生時代には経験できなかったと語る真冬先生。その表情はどこか儚げで、手の届かないもの(=過去)を見つめているかのようでさえありました。

 

...とはいえ、学生時代の真冬先生が「選択」してきた、フィギュアスケート選手という道に「後悔」があったかといえば、もちろんそうではありませんね。むしろ、今の彼女は誰よりも「あの頃の時間」を肯定しています。「限られた大切な時間」と自ら評しているくらいに。

 

 

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真冬先生の過去

 

それなのに.....、「一時の感情」でその時間の全てを台無しにしてしまった。それこそが彼女にとっての「後悔」。今なお、彼女の考え方に影響を与えている「失敗の象徴」。

 

真冬先生の「後悔」は非常に複雑なものです。彼女が失ったものは「フィギュアスケート選手」としての道だけじゃない。それまでの彼女はあらゆるものを犠牲にして、人生の全てをその道にベットしてきたのですからそれは当然でしょう。

 

幼いころから「まわりは全て敵だ」と教え込まれ、たくさんのものを犠牲にしてまで「選んできた」はずの道。フィギュアスケートは文字どおり、それまでの彼女の人生の全てでした。だからこそ、その道に費やしてきた時間も、その裏で犠牲にしてきたものも、全てが無駄になったと彼女は思っているのです。そして、それこそが彼女の教育論の原点になっている

 

 

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彼女の選択は「無為」だったのか

 

そんな真冬先生の教育論に説得力を感じる人も多いのではないでしょうか。作中の言葉を借りるならとても『現実』が見えている意見だと僕も思います。

 

でも、きっとそう感じるのは『現実』を見てきたからなんですよ。真冬先生も僕らも。要するに「大人」になってしまったんですね。「学生」ヒロインに対して「先生」ヒロインを対比的な立ち位置で登場させた理由もきっとこのため。

 

子供の頃って「できない」ことがたくさんありました。それでも毎日が楽しかった。少しずつ何かができるようになって、なにかを知って、世界が広がって。できるとか、できないとか、そんな風に壁を作ることなく、”やりたいこと”にまっしぐらでいられた。それを実践しているのが今の文乃さんたちです。実に「少年ジャンプ」のヒロインらしいあり方ですよね。

 

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氷の内側にある真冬先生の本音

 

そして、かつての真冬先生もそんな想い(”やりたいこと”に向かっていく気持ち)を持っていたはずです。

 

「いつもがんばっててえらい」という言葉から見える真冬先生の気持ち。自分の”やりたいこと”のために、できないことに挑んでいる彼らを見て、彼女はそんな気持ちを少しずつ取り戻してきているのではないでしょうか。

 

もちろん、彼女の「過去」について詳細な部分はまだわかりません。46話で美春さんが言っていた、彼女と両親との関係を鑑みるに、子供の頃から両親が敷いたレールの上を彼女は歩いてきたのかもしれませんし、それに関して真冬先生がどう思っていたのかは、まだ彼女しか知らないこと。

 

でも、彼女がそれまで歩んできたレールを踏みはずすきっかけになった「一時の感情」って、言い換えれば、”やりたかったこと”ですよね。

 

真冬先生はそれを”無意味な道”と言っていて、その選択を失敗だと感じているわけですが、その道がどこかに繋がっていることだってあります。フィギュアスケートというレールには戻れなくってしまったけれど、それゆえに繋がったレールがある。それがきっと、彼女の現在である「教師」というレールです。

 

要は考え方一つなんだと思います。「過去」は決して変わらないし、一度抱いた「後悔」が完全に消えて無くなるようなこともありません。振り返ればいつだってそこにありますから。でも、その「過去」の後悔に意味を見出せば、”無意味”じゃなくなる。それが「過去」と向き合うということ。

 

 

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桐須真冬にとっての「教師」という道

 

個人的にはそこが、真冬先生エピソードの終着点になるんじゃないかなと。

 

読者視点では、それこそ「平行線」な教育論を持つ唯我成幸に負けないくらい生徒のことを考える良き「先生」であり、彼女が「教師」という職業に対して、どういう想いを抱えているのか、その心構えや真摯さが幾度も示されているわけですが、当の本人は未だに心の内側で戻れない「道」(=才能を活かす道)への未練が残っているんですよね。その証として彼女の教育論があるとも言えるのです。

 

「後悔」があるのは、彼女が「今」よりも「過去」の道を肯定しているから。だからこそ真冬先生にとって、「教師」という道(=”一時の感情”を含めた今に至るまでの全て)が「フィギュアスケート選手」としての後悔(=ありえたかもしれないifの道)を乗り越えた時、彼女の物語はひとつの節目を迎えるような気がします。きっと、彼女の「教師」としての道を肯定する存在が、異なる教育論を持った唯我成幸という「生徒」になっていくのでしょうね。

 

桐須真冬がたどり着くのは小美浪あすみのメンタリティ

 

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小美浪あすみというヒロインについて

 

また、桐須真冬という人を語る上で外せない人物があしゅみー先輩です。

 

なぜなら、「真冬先生⇔文乃さん・理珠ちん」という現在の対立関係に対して、あしゅみー先輩は1年前から真冬先生とこの関係にあった人物だから。要するに、文乃さんたちから見れば、あしゅみー先輩は、自分たちの未来に関する一つの可能性とも言える存在なわけですね。

 

小美浪あすみという人もまた”できること”と”やりたいこと”という(作品世界における)「二項対立」のなかで、後者を「選んだ」人です。医学部に入って実家の診療所を継ぐ。それが他でもない彼女の「やりたいこと」。

 

当然、あしゅみー先輩もこの「選択」をしたことによって「諦めてきた」ものがいくつもあったはずです。前述したように、なにかを「選ぶ」ことは、なにかを「選ばない」ことですし、学生時代の進路なんてその最たる例ですよね。

 

彼女の父が言うように、医者になることが人生の全てじゃない。自分に合った道(="できること”)を選んでいれば、彼女の成績なら「浪人」をすることはなかった。40話で楽しそうな大学ライフを満喫しているかつての同級生を描いたのも、彼女にだって今頃こういう道があったかもしれないという可能性を提示するためでしょう。

 

 

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あしゅみー先輩の想い

 

しかし、彼女は浪人という道を選んだことを「後悔」していません。これが真冬先生とあしゅみー先輩の「過去」に対する向き合い方の決定的な違いです。

 

もちろん、あしゅみー先輩だって思うところがないわけじゃない。もっと勉強していれば...という反省はあったでしょうし、かつての同級生を見て羨ましいと思う気持ちがあったことも事実。実際に、自分の選択が正しいのか、間違いなのか、不安になることもあると等身大の悩みを打ち明けてもいました。

 

そりゃそうですよね。「未来」を考えれば不安になるのは当然です。それは誰だって同じ。自分の「できないこと」「苦手な分野」に飛び込んで、結果を勝ち取ることは無論、簡単なことじゃない。10代の女の子が何の迷いもなくこの「選択」をしてしまえることの方がよほど不思議な話でしょう。

 

でも、不安になることはあっても、「この道を選ばなければ...」という後悔を彼女は一度として口にしたことはないのです。だって、それが彼女の”やりたいこと”だから。

 

もし、この道から逃げていたら、それこそが彼女にとって「後悔」になりうるだろうと思えるほどに、彼女は医学部進学に対して強い動機を持っている。これが、小美浪あすみという人のメンタリティです。

 

 

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あしゅみー先輩と真冬先生

 

そして、そんな彼女のメンタルを支えてきたのが、真冬先生の「教育論」だったというのが非常に面白いですね。対立はしているけど、真冬先生のあり方に感謝もしている。このあしゅみー先輩のスタンスは、とても重要な考え方になるのかもしれません。

 

きっと『ぼく勉』という作品が伝えたいことは、なにが正しいとか、なにが間違いとか、そういう話ではないんだと思います。ただ、人の「考え方」や「想い」があるだけ。だから、真冬先生の教育論が間違っているわけでもないし、成幸くんの教育論が絶対的に正しいわけでもない。

 

16話で真冬先生は、文乃さん達の言い分に合わせたやり方をしていたら「あの子達は不幸な人生を歩むことになるわ」と言っていました。

 

でも、仮に結果がどうであれ不幸かどうかを決めるのは文乃さんたち自身であって真冬先生じゃないのです。浪人という結果になっても、「過去」への後悔に縛られることなく、胸を張って今なお”やりたいこと”を貫こうとしているあしゅみー先輩の姿が、何よりもそれを証明しているのでしょう。

 

 

 

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後悔に胸を張ること、向き合うこと

 

 「できない」ことに挑み、「冬」を越えて、それぞれの「春」を目指すヒロインたち。

 

”やりたいこと”をやり切った彼女たちの「未来」には、なにが待ち受けているのでしょうか。そして、そんな少女たちの姿を見守りながら、桐須真冬というヒロインはどんな「春」を迎えるのでしょうね。

 

『ぼく勉』は、恋愛方面の結末ももちろん気になりますが、時には違ったフィルターを通して読んでも楽しめるのが素晴らしいなと個人的には思ったり。いつか、真冬先生の心からの笑顔が描かれることを心待ちにしております!

 

 


 ※本記事にて掲載されている情報物は「『ぼくたちは勉強ができない』/筒井大志週刊少年ジャンプ」より引用しております。