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『ぼくたちは勉強ができない』150話 感想:次のページは君と僕の手で…ラブコメのマルチエンドについて個人的に思うこと

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ぼく勉 問150 感想「[x]=…」

ぼくたちは勉強ができない』 最新話 感想 ネタバレ注意

 

なんやかんやの末にうるかが留学先から帰国し、成幸くんがお手製の指輪をプレゼントする形で一つの幕を下ろした今回の『ぼく勉』。

 

内容的には完全に最終回そのものとしか思えず、色々ありつつもついに終わるのか…なんて感慨に耽っていた僕でしたが、どうやら『ぼく勉』自体はまだまだ続いていく模様で、ここからは他のヒロイン達とのルートを1本ずつ順番に描いていく、いわゆる"マルチエンド方式"を展開する予定との情報が明かされていました。

 

 

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うるかエンドは5つあるルートの1つに過ぎなかった

 

まぁ言ってしまえばギャルゲー要素の強い(=1対1の個別回を中心にお話を構成してきた)『ぼく勉』だからこその"試み"ということになるのでしょうけれど、正直この点に関して賛否両論が読者の間で発生するのは至極当然のことだと思います。

 

ブコメや創作に限らず、喜怒哀楽の全てを包括したものが"感想"なのであって、それを否定する権利は誰にもありませんからね。それぞれが自分の感想を大切にしていけばそれでいいと思いますし、読み方は人それぞれ違って当たり前の世界。

 

なので、今回はそういう前提を元に、ラブコメにおけるマルチエンドについて個人的に思うところを書いていきたいなと思います。

 

 

 

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ぼく勉 問150:「[X]=…」

 

さて。そもそもなぜ「マルチエンド」がゲーム媒体で採用されやすいのかと言うと、それは当たり前なお話「物語の主人公=プレイヤー本人」という前提がゲーム世界においては担保されているからです。

 

プレイヤーの選択がゲームの進行に影響を及ぼし、その積み重ねが最終的な結末を決めていく。

 

そういった一連の体験行動にマルチエンド式ゲームの醍醐味があり、ユーザーもまたゲームを購入する段階でいくつかのルートに分岐していることを認識し、その上でゲームを楽しむ。ゲームとマルチエンドの間にシナジーが発生しているのは、ひとえにこういう仕組みが自然と成立しているからです。

 

とすると、一方の漫画媒体はどうか。主人公の唯我成幸くんは絶対的にただ一人しか存在しておらず、多様な人格(=好みや価値観と言い換えた方が正しいですかね)を有したプレイヤーの代わりには当然なりえない。

 

 

 

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武元うるかとは何か

 

例えばうるかルート世界線の成幸くんは「中学の頃からうるかを特別に想っていた」ことが明かされており、その前提の元でうるかの告白を皮切りに今のエンディングにたどり着きました。

 

しかし、他の子のルートではうるかがエンドヒロインとはなりえないわけですから、「胸の内に眠るうるかへの気持ちに気付かないまま」成幸くんが他の子に惹かれていく…という構図を自然と辿ることになるわけです。

 

 

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うるかに惹かれた唯我成幸の消滅

 

後夜祭の花火がルートの分岐点になる場合は「中学時代のやり取りや5年分のバレンタインを含む様々な積み重ね(=作中問69以前の事象)がそのまま起こった出来事」としてカウントされることになり、それらの過去をエンディングの決め手として第1のルートで扱ってしまった以上、第2ルート以降は「うるかに告白されなかったから愛おしいと気付けなかった」という構図にならざるを得ない。

 

唯我成幸という主人公の「人間性」が変わらない中でエンドヒロインだけを変えるということは、望まずともそういうモヤモヤを生み出すことに繋がってしまう。ちょっとしたきっかけで結末が変わる。それは即ち、一つ一つのルートから『重み』や『必然性』が損なわれてしまうことと同義だから。

 

多くのラブコメ漫画でマルチエンドが採用されていないのはおそらくこういう歪みをわかっているからで、軽々しく「マルチエンドはアリ!」と言ってしまうのは一つ一つの物語に対して無責任が過ぎる。この点だけはきちんと認識したうえでこの先のルートを読んでいきたいなと個人的には思っています。

 

 

 未来は僕らの手の中に

 

とはいえ、今の『ぼく勉』にそういう細かい整合性を求めているのかと言われれば、正直なところ僕個人としてはノーだったりします。

 

以前の感想で「過程の末に結論を導こうとしたというより、結論ありきで登場人物たちの行動を規定している印象がある」と書いたかと思いますが、マルチエンドの採用はまさしくその裏付けですよね。

 

他のヒロインたちが誰ひとりとして告白をしなかったことも、成幸くん自身がヒロイン達の気持ちに最後まで気付かない鈍感くん(潜在的に惹かれていたうるかに対してでさえ告白されるまで無自覚)だったことも。

 

全てがうるかエンドを描くための副作用で、そこに理屈を求める意味など全くなかったわけですから。

 

 

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マルチエンド

 

ゆえに、もう細かいことは全て忘れ、それぞれのルートを通じて明るい未来を掴んでいくヒロイン達の笑顔を楽しむことが現状最も幸せな読み方なのだと思うようにしています。

 

マルチエンドを選んだならマルチエンドにしかない楽しさをきちんと提供してくれればそれでいいし、どんな形であれ永遠に届かないと思っていた「未来」が描かれるのならやはり一読者として前向きに楽しんでいきたいなとも思っていますから。

 

 

 

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文乃さんエンドに期待

 

文乃さんと成幸くんの間にどんな恋のシナリオが用意され、2人がどのように手を取り合っていくのか。

 

マルチエンドを採用した『ぼく勉』だからこそ描ける物語に期待しております。

 

 

 


 ※本記事にて掲載されている情報物は「『ぼくたちは勉強ができない』/筒井大志週刊少年ジャンプ」より引用しております。