俺ガイル 最新巻 感想 ネタバレ注意
2015年4月から『俺ガイル -続-』のアニメが始まりました。
『俺ガイル』という作品はいい意味で読者にストレスを与えてくれるというか、解釈を読者に委ねるかのごとく作中でキャラの心情やセリフの意味についての「正解」を明確に提示していない部分があります。
特に2期で描かれるエピソードは原作の中でもとりわけ抽象性の強い(それゆえに面白い)テーマが扱われているため、物語の総論や要点を掴むのがちょっと難しかったりしますよね。
というわけで、アニメ化の記念におさらいの意味も兼ねて、感想というのか考察というのか妄想というのかわからない何かをここで少し自分なりに書いていこうと思います。
(以下、原作第7巻~第9巻の内容を中心に扱うので未読の方はネタバレになりますのでご注意を。)
『俺ガイル』第7巻~第9巻 感想
「問題を与えられなければ、理由を見つけることができなければ、動き出せない人間がいる。」(第8巻P334)
比企谷八幡は「感情」では動かない。いや、動くことが出来ない。自意識の化け物である彼は、いつだって理屈という名の鎧を身に纏い、彼の醜い感情を覆い隠してきました。
雪ノ下雪乃もまた理由を与えられなければ、動き出すことができない人です。彼女も一色いろはから依頼を受けることで生徒会長に立候補するための「理由」を手に入れている。『奉仕部』という形にこだわらなくとも自分達のつながりが“本物”であるならば、この関係が変わることはない。そう信じて。
雪ノ下は言葉にしなくとも八幡や由比ヶ浜にも「わかるものだとばかり、思っていた」わけです。彼・彼女らが本当に守りたかったものは、ただそこにあるだけの『奉仕部』という場所ではなく、その場を形成する彼・彼女ら自身の関係性の方なのだと。自分が生徒会長になり、たとえ『奉仕部』がなくなったとしても自分たちの関係は壊れたりしないのだと。
しかし八幡は『奉仕部』を守ることを選んでしまった。そのために彼は妹の小町に「理由」をもらいます。比企谷八幡が雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣を生徒会長にさせないための理由を。
雪ノ下や由比ヶ浜のことを分析し二人が傷付かないよう守ったつもりだったのに、なぜ八幡はまちがえてしまったのか。それは、彼にとって人の“感情”を理解することがとても難しいことだったから。
嫉妬や憎悪のような醜い感情に基づいた行動原理を類推することは出来ても、論理も理論も飛び越えた人の想いを想像することはできない。わかった気になって勝手に勘違いしてきた彼の過去がその事実を雄弁に物語っていました。
信念と欺瞞
「俺には確かな信念があったのだ。おそらくは、誰かとたった一つ共有していて。今はもう失くしてしまった信念を。」(第8巻P204)
上記の台詞でも語られている通り、かつての八幡は確固たる『信念』を持っていました。些細なことで壊れてしまうような上辺だけの関係は欺瞞であり、そんな上辺だけの馴れ合いなど不要であるという『信念』を。そしてそれは、雪ノ下雪乃と比企谷八幡が言葉にせずとも共有していたはずのものでもありました。
しかし、彼は修学旅行で海老名さんの「今この関係を守りたい」という依頼を――本音を隠し、いくつもの嘘で塗り固められたいつも通りの自分を演じる欺瞞に満ちた葉山たちのグループのあり方を維持するために動きます。
『奉仕部』という大切な居場所が出来てしまったがゆえに「今の関係性が心地よい、それを変えたくない。」という海老名さんの想いに共感してしまったから。大切だから、失いたくないから誰もが装って、“本物”から目を逸らす。そんなものを彼も彼女らも求めてはいなかったはずなのに。それは彼がこの世で最も嫌っていた『欺瞞』でもあったはずなのに。
クリスマス合同イベントにおいて、八幡の前に表れた問題のすべてが彼が今まで「間違えてきた」結果でした。生徒会長としての役割に不安を抱える一色いろは、共同体の輪に入れずにいる鶴見留美、変わらぬ日常を演じ続ける『奉仕部』。自分の過去の行動が引き起こしたその結果に対する責任を問われているかのように八幡の前に数々の問題が表面化してきます。
そして、海浜総合高校の生徒会長・玉縄の存在は比企谷八幡が最も嫌っていたはずの“偽物”を象徴するものでした。誰の意見も否定せず、みんなの意見を取り入れようとする。否定が封じられ、表面上の平和が取り繕われた欺瞞に満ちた会議。各々が内に秘めた不満は可視化されることなく、中身のない空虚な上っ面の議論が展開されていく。
でも、今の比企谷八幡にはかつてのようにこの欺瞞を一刀両断してみせることができない。欺瞞を真っ向から否定しうるだけの『信念』が揺らいでしまっていたのですから....。
今しかできないこと、ここにしかないもの
「例えば。例えばの話である。例えばもし、ゲームのように一つだけ前のセーブデータに戻って選択肢を選び直せたとしたら、人生は変わるだろうか。答えは否である。」第8巻P10)
上記の台詞の通り、この時の比企谷八幡には何度やり直してもきっとこのルートを変えることはできなかったのでしょう。
彼女たちとどうなりたいのか、その答えをこの時の比企谷八幡は持ち合わせていなかったから。雪ノ下雪乃と――由比ヶ浜結衣と――比企谷八幡の三者を巡る関係に対して最適解を導きうる選択肢を彼は持っていなかったから。
ゆえに一つ前のセーブ地点に戻ろうとも理想のルートにたどり着くことはない。より正しく言うのならば、答えを持っていないこの時の彼にとって“理想のルート”というものは一体何を指すのかというお話でもありますから。
人生において「もし」という仮定はあまりにも無力で...。ゆえにこそ現実には無力な、しかし現実ではたどり着くことのできないifの物語を僕たちは楽しむことができるわけでもあるけれど、それでも僕たちは経験せずとも知っています。自分の人生はただの一度きりであり、人生にはリセットボタンなんてないことを。
でも、だからこそ、今しかできないこと、ここにしかないものがある。
雪ノ下雪乃が持っていた信念、由比ヶ浜結衣が求めた関係、比企谷八幡が欲した本物
「誰かを大切に思うということは、その人を傷つける覚悟をすることだよ」(第9巻P232)
大切に思うからこそ、傷付けてしまったと自覚する。だから大切な者ができると人には弱さが生まれる。八幡に対して向けられた平塚先生のセリフはまさに全てが大切でそれがゆえに誰も救うことが出来ない葉山隼人に刺さるものでもあるのかもしれません。
他人のことを理解することはとても難しいことで、お互いに理解しあうなんてことはきっと一生出来ないのだと思います。でも、それでも相手を大切に想えば想うほど、人は理解したいのだと願う。だからこそ、何度まちがっても何度傷つけても問い直し続けるんです。まちがえてしまった以上、そこで同じ問題を解き直すことはできないけれど問い直すことはできるはずだから。
きっと比企谷八幡でなくても良いんです。比企谷八幡が踏み込まなくとも、いつか雪ノ下自身が変わるのかもしれない。いつか誰かが雪ノ下雪乃に由比ヶ浜結衣に踏み込むのかもしれない。
でも、彼にとってもう彼女らは大切な存在で、彼は彼女らのことを理解したいと思う。だからこそ、いつかではなく比企谷八幡は今、踏み込むのです。
「それでも・・・・・それでも、俺は・・・・・俺は、本物が欲しい」(第9巻P254-255)
そして、彼は涙ながらにこう口にする。論理も因果もどこにもない、今まで覆い隠してきた醜い感情を彼はさらけ出す。
問い直し、比企谷八幡の口から零れたのは論理も理論も飛び越えた理屈では類推できない剥き出しの“感情”です。誰かから与えられた理由なんかではなく、確かに自分の中から発せられた本音。空がオレンジに染まる頃、空中廊下で流した彼・彼女らの涙はきっと比企谷八幡が確かに望んでいた“本物”だったのではないでしょうか。
奉仕部は第1巻の由比ヶ浜結衣の依頼から始まりました。そして、第9巻では八幡が自分のありったけの想いを持って依頼をする。なら、この物語の最後の依頼者としてあの扉をノックするのは雪ノ下になるのでしょう。
彼女がどういう形で救われるのか、彼と彼女らの青春はどんな風に間違えながら“本物”に辿り着いていくのか。そんな青春ラブコメの金字塔である『俺ガイル』、来月に発売される第11巻でどのような展開を見せるのか、心より楽しみにしております。