五等分の花嫁 最新話 感想 ネタバレ注意
今週の『五等分の花嫁』を読了。
トップバッターの一花さんから続いてきた「最後の祭りが○○の場合」編もいよいよクライマックス、今回のお話は個別エピソードのラストを締め括る五月回の完結編です。
風太郎からの後押しを受け、自身の「夢」に対する強い気持ちを再確認することとなった五月。2話構成で描かれてきた4人とは異なり、1人だけ「③」まで描かれているあたりにスペシャル感が滲みでてもいますが、
この問題は私たち家族で片をつけます
と彼女自身も述べている通り、実父・無堂さんの存在は、姉妹たちはもちろんのこと、養父・中野マルオさんをも含めた「家族全員」で向き合っていくべき課題でもありました。
末っ子の五月を物語の主体に据え、中野家全員で「過去」との決別を果たしていく。零奈さんへの想いと実父・無堂さんとの決着。そして、それらを通じて五月がどのようにして「課題」を克服していったのか。今週はそんなところを中心にお話を振り返っていきたいと思います。
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第111話:最後の祭りが五月の場合③
さて。そんなわけで今週は五月個別回の完結編です。
風太郎とのやり取りを通じて、実父・無堂さんに立ち向かう意志を表明した前回の五月。その表情には一切の迷いがなく、五月自身にはもう何の心配も要らないのだろうと思える流れが描かれてきたわけですが、その一方で「五月が教師になることをなぜ無堂さんはあれほどまでに問題視していたのか」という点が謎のままだったんですよね。
純粋に五月の将来を案じているだけにしては「言動と行動の不一致」が露骨に目立っていて、正直「①」「②」を読んだ段階では、彼の「真意」が今一つ見えてこない状況でした。
しかし、今回のお話で無堂さんが語っていた
学校の先生でなければなんでもいいんだよ
お母さんと同じ間違った道を歩まないでくれ
という台詞を見るに、最初から彼の考えの中には「五月の気持ち」を汲み取ろうという意志が存在していなかったことがわかります。
ただそこにあったのは「お母さんと同じ道を歩まないでくれ」という身勝手な思いだけであり、五月(=娘)に対する心配が根底にあってその言葉を発していたわけではない。
傲慢で、独りよがりで、身勝手で。しかもそんな自身の言動を反省するでもなく、しまいには「愛する娘への挽回のチャンスを」などと綺麗ごとを宣いながら、「五月と三玖の入れ替わり」にさえ全く気付けていなかったという恥ずかしい有様。
先週の「二乃&三玖」への対応からしてこうなることはわかりきっていましたが、結局のところこの描写が突きつけているのは、無堂さんが子供たちのことを全く気に留めていなかったという事実なのでしょうね。
無堂さんが固執していたのは、五月の向こう側に見えていた零奈さんの虚像と、過去の自分が犯してしまった失態への罪滅ぼしだけだった。
だからこそ、父としてまず何よりも優先しなくてはならなかった「娘たちへの謝罪と交流」という過程をすっ飛ばし、五月だけに拘った挙句、零奈さんと同じ教師になることだけを否定しようとした。
あまりにも浅はかで、どうしようもないまでに自分本位な価値観。それが無堂という男の本質でありました。
そして中野五月は前を向く
そんな醜い最低な父と「決別」を果たすために──。
五月が「自身の気持ち」を堂々と宣言し、マルオが「父」としての在り方を示す。
ちゃんと見てきましたから
全てをなげうって尽くしてくれた母の姿を
という台詞の通り、五月が見てきた零奈さんの姿は、たとえ誰が何と言おうとも決して変わるものではない。
誰よりも優しく、誰よりも大切に自分たちのことを育ててくれた憧れのお母さん。その積み重ねと思い出が五月の胸にはある。自分たちとお母さんとの間にあった日々を知りもせず、勝手に逃げ出した卑怯者なんかに一体私たちの何がわかるのか。
恩師に裏切られ、見捨てられ、傷付いていたことが事実であるかどうかなんて関係ない。五月が共に過ごし、憧れ、信じた零奈さんはどこまでも強くて凛々しくてかっこいい世界一のお母さんだった。それこそが五月の見てきた唯一無二の「真実」であり、無堂さんが無責任にも手放した「零奈さんと五つ子たち」の姿に他ならないのだから。
そして、そんな五月の想いを代弁するかのごとく、
あなたに彼女を語る資格はない
と怒りを露わにするマルオの姿もまた最高に胸熱で本当に素晴らしくて。
「僕も"まだ"何かを言える資格を持ち合わせていないが...」という台詞の中にマルオの誠実さと未来への覚悟が確かに表現されており、同時に、どこまでも自分のことしか考えてこなかった無堂さんとの対比として、五月の気持ちと零奈さんの想いを尊重するマルオの姿がそこに描かれてもいる。
そんな彼を指して「お父さん」と呼ぶ五つ子たちの姿を眺めながら、全力で「父親失格の烙印」を突きつけられることとなった無堂さんは果たして何を想ったのか。
謝罪の言葉を述べることもなく、自身の罪滅ぼしに固執した哀れな道化の末路。
去り際の舌打ちに「最下層の人間性」を垣間見た気もしますが、いずれにせよ、五月が母親代わりを卒業し自らの意志で未来を選び取ったこと。マルオと五つ子たちが本当の家族として再びのスタートを切ったこと。
この2点に関しては、とても王道に物語が纏められていて実に痛快なストーリー展開であったなと個人的には感じました。
五月と風太郎の関係性
さて。かくして積年の想いに決着をつけ見事トラブルを乗り越えてみせた五月さん。
しかし、家庭教師としての風太郎の助言が「支え」になったこともまた事実であり、五月は胸の内にある「素直な感謝」を風太郎に伝えようとしていました。
お母さんが亡くなった寂しさを埋めるために始めた「母親代わりとしての振る舞い」。
いつしかその境界線は曖昧なものになり、次第に「自分の気持ち」に自信が持てなくなっていきました。
でも、依存するでも、縋るわけでもない、ただ純粋に「憧れ」を追いかけたいと願う五月のまっすぐな想いは、確かに本物であるはずなのだと。そう熱弁してくれた風太郎の在り方に影響を受け、気づけば「理想の教師像」を見出だすまでにその存在が大きくなっていて...。
君だって私の理想なんだよ
それだけ聞いて欲しかったの
そう語りながら今までで一番の笑顔を見せる五月の姿には、これまで2人が少しずつ積み重ねてきた「先生」と「生徒」の関係性(あるいは「友達同士」の距離感)が表現されていたのかもしれない。
そんなことを強く再認識した第111話のエピソードで御座いました。
ラブコメヒロインとしての五月の立ち位置と学園祭の顛末やいかに?
さて。最後にいくつか気になった点について個人的な所見を。
今回、あわや五月と風太郎がキスをしてしまうのでは...というダミー描写が意図的に挿まれており、これによって、恋愛感情を持つ4人と恋愛感情を持っていない五月との差が明確に浮き彫りになっていました。
何事もなかったかのごとく「もう冬ですねー」などと語る五月の姿に恋心は感じられず、ただただ風太郎だけが動揺をしてしまったという面白い状況。
ぶっちゃけこれ程の強イベントを乗り越えてなお「惚れない」というのもラブコメ的にはかなり稀有な事例で、もう恋愛軸のヒロインではなかった説を唱える方が妥当なのかもしれません。
ただ、五月の場合「恋愛とは何か」というレベルでその手の感情に疎い節もあり、例えば、風太郎から五月に告白をしたりして初めて気付くみたいなパターンはまぁまだまだそれなりにありうるとは思うんですよね。
実際のところ、現段階において風太郎と最も「対等な関係」を築けているのは五月(もちろんこれは五月が風太郎に恋心を示していない唯一のヒロインだからでしょうけれど)であるように感じますし、もう既にキス付の告白を完了させている「一花さん・二乃・三玖」の3人に比べ、「四葉ちゃん・五月」の2人の方がまだまだ物語的に描ける要素が色々と残っていそう(究極のメタ視点ではありますが...)でもありますし。
また、風太郎の頬が腫れている件についても未だに真相が明かされておらず、意味深に引っ張られ続けている点が気になります。
一花さんからのビンタであれば大した問題でもなさそうですが、
1日目の時系列的に
「15時の集合 ⇒一花さん帰宅⇒勇也たちと遭遇⇒(頬が腫れる)⇒家事発生」
という順番のはずなので、一花さんではないと考えるのが描写的には妥当なんですよね。
このあたり果たして次回以降で明かされることになるのか。ここから「キャンプファイヤー」や「風太郎からの告白」などの大イベントも待ち構えているわけですし、そろそろ風太郎の内面を追いかける風太郎視点のお話が描かれても不思議はないのかなと。期待込みでそんな妄想をしながら次週のお話を楽しみにしております!
※本記事にて掲載されている情報物は「『五等分の花嫁』/春場ねぎ/週刊少年マガジン」より引用しております。