ふわふわな日記

『五等分の花嫁』42話 感想、写真の子からのメッセージ!そのさよならは前に進むために...。

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五等分の花嫁 42話 「七つのさよなら④」 感想

五等分の花嫁 最新話 感想 ネタバレ注意

突然の再会...!

 

「二乃」が抱える問題へと踏み込みを見せていく期末試験編。毎週怒涛の勢いで展開されていくストーリーが非常に熱かったのですが、今週も最高に面白いですね。

 

なんと言いますか...、今週の42話を読んで、『五等分の花嫁』が今後どういう方向に舵を取っていこうとしているのか、その一端が少し見えてきた気がします。それくらい今回は重要なお話だったなぁ...と。

 

上杉風太郎にとって、そして『五等分の花嫁』という作品にとって、非常に大きな影響力を持つ「写真の子」。この2人の再会が物語になにをもたらすのか。今回はそういった点を意識させられるお話でした。

 

 

<感想記事>


 

 

 

 

「写真の子」とフータローの再会!? ――「過去」と「今」が交錯する

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もしかして京都の...

 

前回、突如としてフータローの前に姿を現した一人の少女。この少女は一体誰なのか...!?という感じでしたが、現状では一旦「写真の子」本人の可能性が高いと考えるしかないでしょう。京都におけるお守りが2人の思い出の品であると認識している事からも、彼女が過去の事情を知っている人物であることは間違いありませんので。

 

 

一方、写真を確認するまで五年前の子だと気付けないあたりもフータローらしい。まぁ、この時期の5年という期間は身体的にも精神的にも一番変化に富んだ時期ですから、帽子で顔を隠されてしまうと誰だかわからないというのは正論ではありますが...。

 

なにせ、実際フータロー自身があの頃とは違いますからね。写真の子が「イメチェン」と表現しているように、フータローは目の前にいる女の子によって変えられた。「容姿」だけではなく彼自身の「生き方」をも含めて。それが「今」のフータローです。

 

しかし、「写真の子」はあの頃の姿を再現して登場しました。それは、「今」の姿ではなく「過去」の姿である。そこが今回のポイントでしょう。

 

 

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今の君に

「過去」と「今」の対比

その証拠に、「なぜここに現れたのか」というフータローの問いに対し、彼女はこう答えます、「今の君に会うため」と。

 

要するに、「写真の子」は「今」のフータローに会いに来たんですよね。変わらない(=過去の)姿で、変わった(=今の)フータローの前に現れたわけです。

 

それを踏まえると、前回の「また落ち込んでる やっぱり君は変わらないね」という皮肉めいた言葉にも重みが増してくる。フータローは確かに変わった、でも、自信を無くし「俺は不要だ」と俯くフータローは「あの頃」のままである、と。

 

それゆえに彼女はフータローの前に姿を見せたのではないでしょうか。俯くフータローの背中を押すために。そして、それはまるで「五年前」、彼女がフータローの前に現れたときの出会いを再現するかのように。

 

きっと、ここに「写真の子」からのメッセージがある。詳しくは後述しますが、やっぱりこれこそが今回の2人の再会におけるキモだと思います。

 

 

写真の子の想い

 

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零奈

「零」の名を冠する少女...

 

また、今回興味深かった点は彼女が自身の名を「零奈」と語ったことでしょう。今回の話の流れを汲むと、これがなかなかなにおもしろい。

 

無論「零奈」というのは、名前に漢数字を冠する五姉妹たちを意識したネーミングなので、暗にこの少女が「五姉妹の誰かだよ」というのを表現するための仕掛けではありますが、あえて「零」を名乗っているのが超意味深じゃないかなって。

 

だって、「0」は全ての始まりであり起源ですから。「はじまりの女の子」が冠するにはこれ以上ないくらい相応しいものであると言える。

 

....と同時に、「0」は実体のないもののメタファーでもあるんですよね。概念(=人の気持ちの中にあるもの)としてそこにはあるけれど、質量を伴ってそこにはないもの。それが「0」の持つ真の意味です。

 

 

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過去と今が交差する

「過去」と「今」の思い出が溢れ出す(=噴水の水が飛び出す)

 

それゆえに、今回ボートに乗る2人の姿を「過去」の2人の姿にオーバーラップさせたこの描写が映えるのでしょう。

 

ハッキリとした言い方をしてしまえば、無論彼女は「零奈」ではないわけです。それは「0」(名前だけの存在)であって、過去の象徴であって、実体のないものだから。目の前にいる少女は「零奈」ではなく、五姉妹の誰かです。

 

とすると、なぜ彼女が自らの正体を明かさずに「零奈」と名乗ったのか。その真意は、フータローにとって「はじまりの子」である自分を、きちんと「過去」として位置付けてるからなのでしょうか。

 

前回の感想でも、フータローと五月は「過去」を見つめながら「今」を生きている2人であると言いましたけれど、やはりそこがお話の肝になるのかなと思います。「君を縛る私は消えなきゃね」というのもきっとそういうこと。

 

 

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さよなら

 

それゆえに、「さよなら」をしなくてはならない。自分は「過去」であり「零」だから。文字どおり、思い出の中の存在(=人の気持ちの中にしかない概念)でしかないのだから。

 

この「さよなら」は、これから先フータローが五姉妹と時間を共にしていくその「未来」に”零奈”(=写真の子)は必要ないという彼女なりのメッセージということになるのかもしれません。

 

この一連の流れが最高に神懸かり過ぎていて凄く良かったなと..。「過去」の姿を再現して登場した理由、「零奈」と名乗った真意、そしてフータローへ向けられた寂しげな「さよなら」。

 

徹底的に「写真の子」を「過去」の象徴として描き切っているのも、その全てが後ろ向きになっていた(過去を見つめていた)フータローを前に進ませるため(さよならをして未来へ歩ませるため)の行動なんですよね。

 

39話の感想でも触れましたが、やはり「七つのさよなら編」が掲げる最大のテーマは「過去」からの「さよなら」だったんだろうなぁと思います。

 

 

<関連記事>


 

この「さよなら」がどんな影響をもたらすのか...

 

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必要とされる

 

 

とはいえ、やはり「写真の子」が誰なのかは非常に気になるところではあるわけで...。

 

確かに「写真の子」はフータローにとって「過去」であり、それが例え五姉妹の誰であっても、大切なのはこれから先の「未来」です。

 

それを「写真の子」も望んでいるのでしょうし、自ら名乗らない理由も「過去」に縛られた生き方をフータローにして欲しくないからなのだとしたら、それ自体は正しいとさえ思います。

 

しかし一方で、やっぱりフータローの立場からしてみれば、「写真の子」が誰なのかはまぁ、気にはなりますよね。だって、自分を初めて「必要」としてくれた人であり。初めて自分に真正面から向き合って「肯定」してくれた人なのですから。

 

 

 

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過去の象徴

 

たとえ、その女の子が「過去」の存在で「概念」でしかないんだと言われても、いえ、自分たちの大切な思い出の中にしかいない「概念」だからこそ、やっぱり簡単に「さよなら」出来ない想いはあるんじゃないかなぁ...。

フータローの生徒手帳から彼女が「写真」を抜き取った描写は、「自分のことは忘れて欲しい...」という彼女なりの意図だと思いますが、五年前の少年がフータローだと知っている彼女と、五年前の少女が誰なのかを知らないフータローではやや条件が違う。

 

ゆえに、フータローの中にも「写真の子」が誰なのかが気になる気持ち(=未練)は多少なりとも残る可能性はありますよね。

 

もちろん今回の励ましを受けて、フータローは前に向かっていくのでしょうけれど、そのうえで、「過去」を「過去」として受け止められるようになったうえで、また「写真の子」が誰なのかをフータローが知る機会があるのかもしれません。

 

今回、彼女がフータローに渡したモノがまさにその伏線になってきたら面白いですね。

 

 

写真の子は誰なのか....

 

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写真の子は...

 

というわけで、今回出てきた情報からまた「写真の子」は誰なんだろう...というところに少し触れていきたいのですが、やっぱり個人的には四葉ちゃん説が更に強化されたなって印象です。

 

まぁ、偶然ランニング中にこんなところで出くわすのが怪しい...というのもありますが、裏返せばこんな早くに着替えが可能だったの?という疑問も含めて、解釈の問題でどうとでも取れるので、このシーン自体が決定的なシーンだとは思えません。

 

そもそもここまで引っ張っておいてそんなわかりやすい描写で判明するわけないでしょうから。この描写自体はあくまでもミステリー(謎解き)要素として、四葉ちゃんが現場の近くにいたという事実を提示したかっただけなのかなと。

 

 

ただ...

 

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フータローから見た姉妹の人物評

 

今回改めてフータローの口から語られた「五姉妹の人物評」でそれぞれとの関係性を振り返ると、やっぱり意味深なところはあるのですよね。

 

まず大前提として「写真の子」を読み解くにあたり個人的に重要なポイントだと思っているのが、姉妹たちがフータローのことを「必要とするに至るまでの経緯」にあると思っています。繰り返しになりますがこれは相当重要だと思う。

 

今でこそフータローは程度の差はあれ姉妹たちに必要とされる存在になってきましたが、最初はそうではありませんでした。むしろ、姉妹のほとんどがフータローを必要としていなかった。言い換えれば、信頼してなかったんですよね。

 

しかし、少しずつその状況が変わっていく。三玖に好意を示され、一花さんに信頼され、五月と向き合い、今まさに二乃の問題に立ち向かおうとしている。この4人はストーリーの中でフータローが信頼を勝ち取ってきた(勝ち取ってきている)人たちです。

 

つまり、この4人はストーリーの進行とともにフータローを必要としていった人たちなんですよね。「今」を見つめるというテーマの象徴たるヒロインたちなわけです。

 

 

 

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四葉ちゃんは最初からフータローを頼っていた

 

一方、四葉ちゃんだけは明確に違います

 

以前も「最初からフータローに好意的だった」と言いましたが、言い換えれば、最初から四葉ちゃんはフータローを必要としていた人なんですよ。明らかに一人だけフータローとの関係性の築き方に差異がある。これは気になるところ...。

 

しかも、フータロー自身も今回、四葉ちゃんのことを「やる気があって頼りになる」と評しているんです。もちろん他の姉妹同様決め文句みたいに「だが馬鹿だ」とは言ってるんですけど、「それに...いや...俺の思い過ごしか...(もしかしたら、フータローは"無意識的に"四葉ちゃんと写真の子を重ねている?)と意味深な発言も残している。

 

やはり特別なものを感じずにはいられません。「今」を象徴する4人とは異なる存在の四葉ちゃん。特に今回は「写真の子」=「過去」を強く想起させるエピソードだったので、個人的には「四葉ちゃん=始まりの子」説は高まったんじゃないかな、と。

 

 

 

前へと進むフータロー

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二乃の問題に踏み込めるのか

 

 

そして、「写真の子」との「さよなら」も気になりますが、二乃の問題が解決できるかも気になるところ。

 

何だかんだ言っても二乃はフータローのことを特別視しているんだと思います。中間試験編でフータローのピンチを救った時のように、今回茫然自失のフータローに手を差し伸べる二乃を見ればそれは明らか。やっぱりこの関係性が2人の自然な姿なのかな...。

 

いずれにしろ、「写真の子とのさよなら」と「二乃の家出問題解決」を並行して持ってくるあたりに、七つのさよならのテーマ性――"過去"からのさよなら――が垣間見えますが、果たしてここからどんな風に描かれていくのか。期待したいですね。

 

 

つ・ま・り!なにが言いたいのかというと...

 

 

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写真の子(17歳)がめちゃくちゃかわいかったなってことです!これは凄まじいヒロイン力ですよ...!

 

突然の再会とさよなら。それをフータローがどう乗り越えていくのか。「過去」から「未来」に向かって、どのように作品の舵を取っていくのか。春場先生の御手腕を楽しみにしたいところです。

 

 

 <追記記事>


 

 


 ※本記事にて掲載されている情報物は「『五等分の花嫁』/春場ねぎ/週刊少年マガジン」より引用しております。

 

 

 

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