『五等分の花嫁』48話 感想、風太郎の決意が示すのは「勉強」軸からのさよならである!
五等分の花嫁 48話 「七つのさよなら⑩」 感想
五等分の花嫁 最新話 感想 ネタバレ注意
す、素晴らしい・・・。
なんという破壊力でしょうか...。物語が始まった頃から長いことフータローに反発してきた二乃がついに「本物のデレ」を見せました!もうなんだかほんとに感慨深さが一杯で胸が熱くなりまくりですよね..。
そして、そう感じるのはここに至るまでにたくさんの葛藤があったからでしょう。もうじき連載1周年を迎える『五等分の花嫁』ですが、「素直」にフータローの提案を受け入れる二乃の姿を始めとして、今週のお話の中にはこの1年の連載の中で紡がれてきた「彼女たちの変化」が印象深く描かれていました。
様々な積み重ね(=過程)を経て、今の彼女たち(=結果)がある。変化には必ずそこに達するまでの「過程」があるのです。今回はそういう視点を持って、今週のお話を振り返っていきたい。
<関連記事>
前に進めたからこそ「昔」のように...
前回、お互いの「違い」を受け入れることで、確かな成長を示して見せた二乃。
「二乃と五月の家出騒動」と「四葉ちゃんの陸上部問題」も無事解決し、期末試験に向けて仲良く机を囲む5人の表情には笑顔が浮かんでいました。そんな彼女たちを見守るフータローの表情もとても印象的に描かれていましたよね。
「五人で一緒にいてほしいんだ」。44話でフータローが願った光景がまさにここに広がっている。嬉しさを表情に滲ませるフータローを見つめながら「よかったね」と微笑む三玖の正妻感も本当に素晴らしいものがありました。
また、今週の笑顔に満ちた5人の姿は、一花さんが6話で言っていた「昔は仲良し五姉妹だったじゃん」というセリフへのカウンターでもあるのでしょう。
何もかもが同じでとても仲が良かったのだという「昔」の彼女たち。当たり前ですよね。意見も性格も「同じ」であるなら争いなんて生まれようもない。人はそれぞれに「違う」からこそすれ違い、そこで初めて喧嘩が生まれるんです。
しかし、彼女たちはそれを見事に乗り越えて見せました。それぞれの「違い」を認め合い「変化」を受け入れること。そこにたどり着いた彼女たちだから、仲良しだった頃のように戻れる。過ぎた時間は戻らないし年月と共に色々なことが変わっていくけれど、それを受け入れ「過去」とさよならをして前に進めたからこそ、「昔」のように笑い合うことが出来るのです。
どれだけ変わっても、変わらないもの(=戻れる場所/帰ってくる場所)がある。それこそが「七つのさよなら」編を通して春場先生が描きたかったテーマの一つだったのではないでしょうか。「仲良し五姉妹」という間柄に「ただいま」を果たした彼女たちの姿が何よりもその証明と言えるのかもしれません。
家庭教師からの「さよなら」が物語にどんな影響をもたらすのか
というわけで、ようやく「姉妹」の問題に決着がつき、「七つのさよなら」編も見事に大団円!という雰囲気が漂っていたのですが、物語はまた新しい方向へと急ハンドルで舵を切っていくことになります。そう、フータローの「家庭教師退任」宣言ですね。
今回の期末試験において「赤点を取ったらクビ」というノルマは課されてはいませんでした。しかし、彼は自らの意志で「家庭教師」という立場からのさよならを選ぶ。なぜなら、今回赤点回避が困難な状況に陥ってしまったのは自分の力不足が原因だったからだ、と。
要するに、彼は自分が彼女たちに相応しくない(=不要だ)と思ったわけです。そして、そう考えたのは今回の様々なトラブルを通じて自分の無力さを思い知ったから。
確かに、今回のトラブル解決で一番活躍を見せたのは三玖でしょうし、四葉ちゃんの背中を押したのも、三玖によって救われた二乃。今回の件に絞って「結果」だけで語るならば「五姉妹」が自分たちの力で乗り越えて見せたという構図になっていると言えるのでしょう。
ゆえに、成長し5人揃って無敵になった彼女たちに、自分は不要だとフータローは考えたのかもしれません。
でも、今回の諸問題を解決するにあたって、三玖から二乃へ、二乃から四葉ちゃんへと渡された「勇気」のバトンは、元々フータローが三玖にもたらしたものでもあるのです。姉妹たちがここまで至る「過程」にはフータローはなくてはならない存在だったんですよね。
五月が「あなたが必要です」と言ったように、また零奈が「君はもう必要とされる人になれてるよ」と言ったように、五姉妹にはフータローが必要でした。彼女たちは他でもなくフータローに出会うことで「変わり始めた」のですからそれは当然でしょう。あの二乃がフータローに「よろしく」と頼り始めたことがその証明。自己の評価が低いのはフータロー自身だけなのです。
しかし一方で、今回のフータローの決意は個人的には彼の「変化」を表現したものでもあると思ってます。
決してこのセリフは「俺は不要だ...」と言っていた頃の5年前の彼と同じではない。フータローもまた中野姉妹との「出会い」によって変わってきているはず。
その証明として、まず注目すべきなのはフータローが「勉強を教えるだけじゃダメだったんだ」と言っていることです。物語が始まった頃は何よりも「勉強」を第一にしていたフータローが試験の結果よりも大切なものとして「彼女たちの気持ち」を挙げている。これは非常に大きな「変化」でしょう。
41話で彼自身が語った通り、これまでのフータローにとって「勉強」というファクターは自分の存在証明とも言えるものでした。
”写真の子”に出会い「誰かに必要とされる人間になる」ことを決意した彼にとって「勉強」は言わば彼の生き方を支えるもの。食事中にテストの復習をしたり(1話)せっかくの休日を「勉強」漬けで過ごそうとしたり(36話)していた彼の姿からもそれは明らかですよね。
しかし、そんな彼も「勉強」以上に大切なものがあることに気付いた。「あいつらの気持ちも考えてやれる家庭教師の方がいい」。それは彼がこれまで姉妹たちと積み重ねてきた日々の中で芽生えさせた想いであり、同時に彼の「成長」の兆しです。
確かに彼らの始まりは「家庭教師(=勉強)」という軸で得たつながりでした。でも今の彼らの間にあるものは本当にそれだけなのでしょうか。その軸が取り払われた時、彼・彼女たちの間には一体何が残るのでしょうか。
きっとそこの部分を掘り下げることがこの展開の狙いなのかなと。フータローの決意によって、改めて姉妹たちに「フータローという存在」が自分たちにとってどういう存在なのかを考えさせる。それは今後の物語を描いていくうえでもとても重要になってくるポイントなのだと思います。
物語は「姉妹」から「家族」の問題へ!
さて、最後に中野父とフータローのやり取りについて触れていきましょう。今回は「結果」と「過程」という言葉を意識して感想を書いてきたのですけど、その理由はこの2人のスタンスの対比を浮き彫りにするためでした。
というのも、中野父ってとても「結果主義的」な考え方を持った人だと思うんです。前回の中間試験編では「(点数が)一番の判断基準だ」と述べ、今回フータローから二乃と五月の喧嘩を知らされた際には「もう解決したのかい?」という反応のみ。
つまり「過程」に興味がないのですよね。「結果」だけ知れればいい。フータローが「なぜ喧嘩したのか気になりませんか?」と「過程」について指摘しても答える様子もありません。「過程」と「家庭」が掛かっていると考えるとなんだか面白いんですが、二乃や五月が何を考え、何に悩んでいるのかなんてことはこのお父さんの関心事ではないのです。
そして、そんな父親のスタンスに物申すフータローの姿にこそ、彼の「変化」と「成長」が詰まっているのだと思います。零奈が語ったようにフータローは5人ときちんと向き合っているんですよね。
無関心な中野父との対比で浮き彫りになるフータローの想い。「勉強」や「試験」(=「結果」の象徴)にこだわっていたフータローが、生徒としてではなく大切な存在として彼女たちの「気持ち」や「悩み」(=成長の過程)に踏み込むようになっていく。
彼にとってもう彼女たちはただの生徒(仕事の相手)ではないのです。それを表現するために「家庭教師(=勉強軸)」からのさよならを描いたのかもしれませんね。今後の展開で仮に彼がまた家庭教師の立場に戻ることになろうとも、一度そこの部分をきちんと示しておく必要があったのでしょう。
というわけで、何が言いたいのかをまとめると...
今週の三玖が胸キュン悶絶不可避レベルで最高に可愛かった!ってことです。
1話から読み返していると本当に三玖は回を増すごとに可愛さの桁が跳ね上がっていくので、もうヤバいですわ...。三玖半端ないって!
ひとまずは、フータローの退任を知って5人がどういう反応を示すのか気になるところ。そして、すぐには解決されないだろうけど中野父の問題もどうなるかな...。最後にはこの人に娘さんをくださいって言うのだと思うと胸が熱くなりますね!
「姉妹」から「家族」へとテーマが進み始めた彼・彼女たちの物語。この先、フータローたちの関係性がどう変わっていくのか楽しみです!
※本記事にて掲載されている情報物は「『五等分の花嫁』/春場ねぎ/週刊少年マガジン」より引用しております。