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『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(俺ガイル)』14巻(最終巻) 感想・考察:本物を求め続けた先にある青春ラブコメの答え

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『俺ガイル』14巻(最終巻) 感想・考察

俺ガイル 最新巻 感想 ネタバレ注意

 

「本物」を追い求める高校生たちの青春を描いたライトノベルやはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」が昨年11月に完結を迎えた。

 

数ヶ月前から少しずつTwitterを通して感想を投稿し、ようやくこの作品に対する自分なりの見解が固まってきたため、これまでの総括を交えながら最終巻の感想をブログにまとめていきたい。

 

それなりに文字量のある記事(7500文字程度)になってはおりますが、興味のある方は是非とも最後までお付き合い頂きたく、宜しくお願いいたします。

 

 

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~14巻あらすじ~

 

まちがい続ける青春模様、シリーズ完結。

 

季節はまた春を迎えようとしていた。
同じ日々を繰り返しても、常に今日は新しい。悩み、答えに窮し、間違えを繰り返しても、常に飽きもせず問い直すしかない――新しい答えを知るために。


言葉にしなければ伝わらないのに、言葉では足りなくて。いつだって出した答えはまちがっていて、取り返しがつかないほど歪んでしまった関係は、どうしようもない偽物で。

 

――だからせめて、この模造品に、壊れるほどの傷をつけ、たった一つの本物に。故意にまちがう俺の青春を、終わらせるのだ――。

 

過ぎ去った季節と、これから来る新しい季節。

まちがい続ける物語が終わり……そしてきっとまだ青春は続いていく。シリーズ完結巻。

 

 

 

俺ガイル 14巻(最終巻) :本物とは何か

 

さて。既に書き出しでも述べた通り、『俺ガイル』は"本物"を求める高校生たちの青春模様を描いた物語である。

 

"ラブコメ"としての側面を持ちながらもその点にブレはなく、「本物」の希求こそが常にこの作品の核心であり続けた。

 

よって、当然「本物」とは一体どういうものなのか……というテーマが物語を貫く要旨となってくるわけだが、この抽象的なワードを具体的に定義している内容については第9巻で既にその一端が八幡の台詞を通して描かれている。

 

 

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八幡の欲した本物

 

俺はわかってもらいたいんじゃない。俺はわかりたいのだ。わかりたい。知っていたい。知って安心したい。安らぎを得ていたい。わからないことはひどく怖いことだから。完全に理解したいだなんて、ひどく独善的で、独裁的で、傲慢な願いだ。本当に浅ましくておぞましい。そんな願望を抱いている自分が気持ち悪くて仕方がない。

だけど、もしも、もしもお互いがそう思えるのなら。
その醜い自己満足を押しつけ合い、許容できる関係性が存在するのなら。そんなこと絶対にできないのは知っている。そんなものに手が届かないのもわかっている。「それでも……。それでも、俺は……。俺は、"本物"が欲しい」(第9巻、アニメ2期8話より)

 

比企谷八幡が欲した"本物"とは「相手のことを完全に理解したい」ということであり、その「自己満足を押しつけ合い、許容できる関係性」を築くことだった。

 

「言葉にせずともわかりあえる関係性」が理想の産物だと知りつつも、言葉に裏があるのかどうかを読んでしまう比企谷八幡にとって、「話せば何でもわかりあえる」という弁は欺瞞であり曖昧なものである。

 

だからこそ、たとえ手が届かないとしても、足掻きもがき苦しんで「本物」が欲しいと願ったわけだ。うわべだけの馴れ合いではない、もっと深いつながりに憧れてしまったから。この背景が物語の大前提として敷かれている。

 

そして、この大前提(=作中表現でいうところの『信念』)は、比企谷八幡雪ノ下雪乃が言葉にせずとも確かに共有していたものだった。

 

 

「俺には確かな信念があったのだ。おそらくは、誰かとたった一つ共有していて。今はもう失くしてしまった信念を。」(第8巻 p.204より)

俺が見てきた雪ノ下雪乃

常に美しく、誠実で、嘘を吐かず、ともすれば余計なことさえ歯切れよく言ってのける。寄る辺がなくともその足で立ち続ける。

その姿に。凍てつく青い炎のように美しく、悲しいまでに儚い立ち姿に。そんな雪ノ下雪乃に。きっと俺は、憧れていたのだ。(第5巻 p.218より)

 

 

八幡と雪乃の強固な"つながり"、比企谷八幡雪ノ下雪乃に憧れていたとわかる明確な記述。

 

こうした背景を元に「本当の雪ノ下雪乃を知っていく過程が『俺ガイル』の本流にあり、今の自分から"変わりたいと願う雪乃""変わることを逃げと評してきた八幡"の対比関係(及び、すれ違い) が中盤以降のストーリーで展開されていく。

 

 

八幡「変わるなんてのは結局、現状から逃げるために変わるんだろうが。逃げてるのはどっちだよ。本当に逃げてないなら変わらないでそこで踏ん張んだよ。どうして今の自分や過去の自分を肯定してやれないんだよ」

雪乃「……それじゃあ悩みは解決しないし、誰も救われないじゃない」(第1巻より)

 

 

無論、アニメ第1期(原作 第1巻~第6巻)の段階における雪乃自身の「変わりたい」という願望は遠回しにしか語られておらず、序盤で見える雪乃像はあくまでも八幡のフィルターを通した完璧な理想像であったため、物語を通じて変えられていく対象は雪乃以外の人物たちだった。

 

しかし、巻が進むにつれ、真に変わりたいと願っていたのが雪乃自身だったという事実が浮き彫りになる。

 

 

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いつか、私を助けてね

 

第9巻の「いつか、私を助けてね」の台詞がその決定打となり、終盤の論点が雪ノ下雪乃がいかにして変わるのか、あるいはいかにして自立を果たすのかに寄っていたのもおそらくはこのためだと考えて良い。

 

うわべだけではないお互いを知り、お互いの感情に歩み寄りを図る。相手への理解を「本物」と定義し、雪ノ下雪乃比企谷八幡の相互理解を一つのテーマに据える。

 

 

俺も、雪ノ下も、お互いのことを知らなかった。

何を持って、知ると呼ぶべきか。理解していなかった。

ただお互いの在り方だけを見ていればそれで分かったのにな。大切なものは目に見えないんだ。つい、目をそらしてしまうから。

俺は。俺たちは。

この半年近い期間をかけて、ようやく互いの存在を知ったのだ。(第6巻 p.353~354より)

 

 

以上の背景より、比企谷八幡の想い人が雪ノ下雪乃であることは最初から明示されていたと読むのが筋なのかもしれない。

 

理由や理屈に拠らない、自身の感情で動く八幡と雪乃のラストに物語の集大成があったように思う。

 

 

待ち続けたヒロイン由比ヶ浜結衣

 

とはいえ、それはあくまでも構造上のお話である。

 

八幡と雪乃の成長ストーリーが軸にあったことは間違いないが、ブコメとしての側面を交えればより多くの接点を持っていたのは由比ヶ浜結衣の方である。

 

にも関わらず、最初から可能性がゼロで彼女の恋が失恋前提だったと解釈してしまうのは流石に胸が痛むし、個人的にあまり好きな読み方ではない。

 

由比ヶ浜はたぶんまちがえない。

彼女だけはずっと正しい答えを見ていた気がする。(第11巻、アニメ2期13話より)

 

上述の台詞からもわかるとおり、そもそもこの物語において由比ヶ浜結衣は「まちがえない」存在として描かれてきた。

 

 

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由比ヶ浜結衣の恋

 

「まちがいラブコメ」の象徴が八幡と雪乃であるならば、彼女は最初から正しい答えを知り、ちゃんとしたやり方を知っていた人物。

 

そして、ここで言うところの正しい答えとは「相手の"感情"を推し量ること/理屈ではなく感情(=主観)で動くこと」だと推測ができ、理由を与えられなければ動けない八幡と雪乃のやり方を彼女はずっと傍で見守り待ち続けていたことになる。

 

だからこそ、「第12巻~第13巻で書かれていた彼女の独白(=「Interlude」)がひどく胸を打つ切ない描写に映ったのだと思う。

 

 「彼女のお願いはもう決まってる。あたしと同じであたしと反対。似ているけれど全然違う。」(Interlude③-p133)

「ずるいのも、言い訳なのも、嘘なのも、全部わかってるけど。けどもう少しだけこの時間を続けさせてください。ちゃんと終わらせるから。もしかしたら、なんて願ったりしないから」(Interlude④-p209)

 

雪乃の願い(=八幡への好意)が自分と同じであることを知りながら、八幡と雪乃の答え(=両思い)をも最初から知っていた。

 

そんな彼女が心の片隅で願ったのは「曖昧な時間を続けること」であり、それは当然「本物」ではなく、雪乃の願い(+物語の目指す場所)とは真逆の願いとなる。

 

恋も友情も奉仕部として過ごす時間も、その全部が欲しい。彼女が自身を「ずるい子」と評している理由はそういう欺瞞を求める在り方に自己嫌悪があったからである。

 

だから、もう少しだけ。

そうやって言い訳をして。噓をついて。
頑張って笑顔を作る。ほんとに、ずるくて、嫌な子だ。(第13巻より)

 

しかし、そういう「感情」の発露こそが彼女の正しさの象徴に他ならず、たった一人で運命に抗おうとした女の子の強さだ。

 

八幡が「由比ヶ浜結衣はやさしい女の子だ...そう勝手に決めつけていた。雪ノ下雪乃は強い女の子だ....そうやって理想を押し付けていた。(アニメ第2期13話より)」と語っていたが、まさしくその通りだと言って良い。

 

能動的に何かを待ち続けることの難しさは誰もが理解しているところで、その実現が難しい願いであるのならなおさら切なさが募る。

 

待っててもどうしようもない人は待たない。

こっちから行くの。 

……なんか、待ってみたかったから (第14巻より)

 

けれど、彼女はただ受け身で構えていたわけでもなく、自ら関わりを持ったうえで八幡たちの答えを待つ選択をした。

 

奉仕部に入部をしたことも、八幡のやり方を見守り傍で支え続けてきたことも。確かに彼女が選び、積み上げてきた「今」という時間の結果である。

 

比企谷八幡にとって由比ヶ浜結衣がかけがえのない大切な存在になったのはこうした「今」の積み重ねがあったからであって、たとえ恋に敗れようともその日々がなくなることは決してない。

 

 

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由比ヶ浜結衣の強さ

 

もどかしい「まちがいラブコメ」の中で、誰よりも真っ当に恋の熱を帯びていた由比ヶ浜結衣の強さ。

 

彼女がいたからこそこの作品を好きになれた自分がいる。その点を深く留意したうえで結末を前向きに受け入れていきたいと思う。

 

 

 

雪ノ下陽乃がもたらす問題提起

 

さて。奉仕部3人の関係を更に深く考えるにあたり、雪ノ下陽乃の存在がキーだった点にも触れていく。

 

雪ノ下雪乃の姉であり、雪ノ下家の長女でもある雪ノ下陽乃。彼女がどういう存在で、どんな役割を担っていたのか。

 

ひとつは、奉仕部の現状について問題提起を行う人物であったという側面が挙げられる。「自意識の化物」「共依存」「代償行為」などのワードを始め、陽乃の視点は常に"客観"で語られている。

 

 

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陽乃の示唆はいつも客観

 

例えば第13巻の骨子は、3人がそれぞれに「共依存」というワードからの脱却を画策する様子に比重があった。

 

雪乃は八幡の力を借りずにプロムを実現することで”自立”を果たそうとし、八幡は「あいつが助けを必要としていなくて、それでも俺が助けたいと思うなら……、それは共依存なんかじゃない」という論理に基づいて共依存からの脱却を試みる。2人のやり方に素直な感情はなく、共依存からの脱却」という記号を攻略しようとしていたに過ぎないことがわかる展開であった。

 

しかし、対する由比ヶ浜は自らの感情に基づき「少なくとも自分は共依存なんかじゃない」と陽乃の言葉を正面から否定する。自分の中から湧き出る感情を「共依存」なんて容易い言葉で第三者にタグ付けされるなんてあってはならないから。その感情は一言で片付けて良いものでは決してないからである。

 

由比ヶ浜結衣にとっては本物だとか共依存だとか勝負だとかそんな事情は一切関係なく、今ここで感じている

 

「あたしの全部が、痛いくらい、好きだって悲鳴を上げてる」(Interlude⑥-p333)

 

 という感情こそが全てだった。

 

ゆえに、陽乃の指摘に直面した奉仕部の面々は、最終的に自らの"主観"によって――言い換えれば「感情」によって――課題を乗り越える姿が求められていたと言える。

 

 

もうひとつ気になるのは、陽乃自身が奉仕部の現状を写す鏡であったと思われる点。言わずもがな、作中において雪ノ下陽乃停滞や後退のメタファー(=歩みを止めてしまった者)として描かれてきた。

 

あ、勘違いしないでね。家のことなんて正直どうでもいいのよ? わたしは別に家継ぎたいわけじゃないし」

「こんな結末が、わたしの二十年と同じ価値だなんて、認められないでしょ。もし、本気で譲れっていうならそれに見合うものを見せてほしいのよね」(第14巻より)

ちゃんと決着つけないと、ずっと燻るよ。いつまでたっても終わらない。

わたしが二十年そうやって騙し騙しやってきたからよくわかる……。そんな偽物みたいな人生を生きてきたの (第14巻より)

 

上述の台詞通り、母の言い付けで家を継ぐこと自体は彼女にとっておそらくどうでもいいことなのだとは思う。

 

しかし、宿命を受け入れる期間として過ごしてきた自分の20年がつまらない妹の茶番劇(=本物から目をそらす奉仕部)で塗り替えられるなんてのはやはり納得がいくものではない。

 

対価として八幡たちに「本物」を求めたのは、やはり歩みを止めてしまった者として陽乃自身もまた「本物」を希求していたからだろう。そう解釈をすると、単なる舞台装置ではない"生きた雪ノ下陽乃の想い"を感じ取ることができるのかもしれない。

 

 

 

颯爽と、平塚静は前を歩く

 

一方、そんな陽乃と対照的だったのが世界の平塚こと平塚静である。

 

 

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平塚先生

 

誰かを大切に思うということは、その人を傷つける覚悟をすることだよ

君でなくても本当はいいんだ。この先いつか、雪ノ下自身が変わるかもしれない。いつか彼女のことを理解できる人が現れるかもしれない。彼女のもとへ踏み込んでいく人がいるかもしれない。それは、由比ヶ浜にも言えることだ。

君たちにとっては、今この時間がすべてのように感じるだろう。だが、けしてそんなことはない。どこかで帳尻は合わせられる。世界はそういうふうに出来ている。……ただ、私はそれが君だったらいいと思う。君と由比ヶ浜が雪ノ下に踏み込んでくれることを願っている。

この時間がすべてじゃない。……でも、今しかできないこと、ここにしかないものもある。今だよ、比企谷。……今なんだ (アニメ2期8話より)

 

 

控えめに言って至言だらけの先生であるが、平塚静はただ大人として彼らに助言を与えるだけではなく、八幡たちの目線を汲み取ったうえでクリティカルな示唆を提示してくれる存在であった。

 

雪ノ下陽乃を指して「歩みを止めてしまった者」と評したのも彼女であり、「今を肯定する者」として彼女が陽乃と対を為していたこともおそらく偶然ではない。

 

平塚先生の語った、

 

共依存なんて、簡単な言葉で括るなよ……

その気持ちをわかりやすい記号で済ませるなよ (第14巻より)

 

という言葉が奉仕部のこれまでと「今」を肯定し、共依存なんて言葉で簡単に片付けて良い人間関係は存在しない」という示唆を八幡にもたらす。

 

 

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奉仕部が積み重ねてきた今

 

「今」という瞬間は更新を繰り返して止まず、彼らは彼らだけの「今」を前向きに生きていく。ならば、第三者が決めた客観的記号に果たしてどれだけの価値があるだろうか。

 

陽乃は後継ぎとして家に囚われ続けてきたが、雪乃が家を継ぐことによって晴れて自由の身になることができる。きっとここから雪ノ下陽乃の、偽物ではない本当の人生が始まるのだ。

 

もう「歩みを止めてしまった者」ではいられないし、家に依存することもできない。代償行為ではない「自己実現」を自分自身で見つけ、自分の足で歩き出さなくてはならない。

 

もし可能であるのなら、是非とも彼女の行く末を書いていただけたら幸いである。(刊行予定の短編集に期待しております。)

 

 

 

「青春」はいつまでも「本物」を探し続ける

 

さて。ここまで様々な見解をつらつらと書き続けてきた結果、新しく気になった点が一つある。

 

そもそも雪乃はなぜ奉仕部を作ったのか。彼女が最初に「変えるのよ、人ごと、この世界を」と語っていたことから「持っているもの」が損をする世界を変えるためと捉えても良いのだろうが、それではあまりにも対象が広く一介の高校生には荷が重い。

 

とすると、奉仕部の活動方針が

 

魚の獲り方が分からない人に魚の獲り方を教えて「自立」をうながす

 

というものであったことからして、やはり雪乃自身の「自立」が目的の一つであったと見た方が妥当だろうか。他者に手を差し伸べながらも本当に救われたかったのは雪乃で、結果を見るに八幡と由比ヶ浜によって彼女は救われたことになる。

 

実際に雪乃は彼女の意志で父親の仕事を手伝うと決めているし、八幡との恋も自分の気持ちに従って意思決定を行った。

 

 

平塚先生「どんな言葉でもどんな行動でもいいんだ。その一つ一つをドットみたいに集めて、君なりの答えを紡げばいい。キャンバスの全部を埋めて、残った空白が言葉の形をとるかもしれない」

八幡「お前は望んでないかもしれないけど……、俺は関わり続けたいと、思ってる。義務じゃなくて、意志の問題だ。……だから、お前の人生歪める権利を俺にくれ」 

雪乃「あなたの人生を、私にください」「あなたが好きよ。比企谷くん」

 

八幡が自分なりの答えを紡ぎ、雪乃が残った空白の2文字(=好き)を言葉にする。

 

その「言葉」がうわべで曖昧なものに映らないのは、お互いを大切に想い合う前提を積み重ねてきた彼らだからこそなのだと思う。

 

雪乃の「自立」と八幡の欲した「本物」。他者から与えられてパートナーを得たわけでもなければ、自己実現に向けて歩き出した雪乃に依存の影を見るのもやはり無粋でしかない。

 

今の八幡と雪乃ならばきっと、面倒な遠回りを繰り返しながらも同じ歩幅で「本物」を求め続けていけるはずだ。「青春」はいつまでも「本物」を探し続けていくのだから。

 

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たどり着いた青春ラブコメの答え

 

 

そして願わくば、作品最大の功労者として2人を見守り待ち続けてきた由比ヶ浜結衣にも幸せな未来が訪れて欲しいなと。

 

そんなことを想いつつ、この場を借りて、最高の物語を生み出してくださった作者の渡先生に感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。