『冴えない彼女の育てかた Fine』感想考察(第2回):世界で一番大切な、私のものじゃない君へ
『冴えカノFine』 感想考察 ネタバレ注意
劇場版『冴えない彼女の育てかた Fine』の公開から早くも2週間(現在第3週目に突入しております)が経ちました。
何度か視聴を繰り返すうちに新しく感じたこともありますので、前回の「加藤さん」成分多めな全体感想に引き続き、今回は違う観点から倫也と3人のヒロインたちに対する考察を書いていきたいと思います。
以下、映画本編(+原作小説)の内容に触れておりますので、ネタバレに関しては予めご了承ください。
『冴えない彼女の育てかた Fine』感想考察(第2回)
<感想記事(第1回)>
※宜しければ上記エントリ(メイン感想)も合わせてご参照いただければ幸いです。
霞ヶ丘詩羽の「弱さ」と「強さ」
一つ年上の「先輩ヒロイン」である霞ヶ丘詩羽は、「弱さ」と「強さ」を兼ね備えた女の子として描かれてきました。
映画においては「倫也たちの関係」を一つ高い地点から眺める役回り(=「辛い役回り」)を担っていた彼女ですが、その実、ここまでの物語の中で彼女の「恋愛にまつわるエピソード」は既に二回ほど描かれています。
◇一度目の失恋
詩羽先輩のデビュー作である『恋するメトロノーム』、この作品のヒロインである沙由香(さゆか)は、人付き合いが苦手で経験も不足していた詩羽先輩が自分自身をモチーフにすることで生み出したキャラクターでした。
しかし、第2巻から登場するヒロインの真唯(まゆい)の方が読者からの人気が高く、最終的にどちらのヒロインエンドで完結させるべきかに悩んだ詩羽先輩は、主人公が沙由香(=当然これは自分自身のモチーフです)を選ぶ結末を用意して、その初稿を発売に先駆けて倫也に見せようとします。
当然「個人的なラブレター」のつもりで書いた詩羽先輩からすれば、『発売日に買う霞詩子のファン』としてではなく、『個人としての安芸倫也』にその結末に対する意見を貰いたかったわけですが、そんな乙女心など知る由もない一方の倫也は『ファンとして』読むことを拒絶。
結果、『恋するメトロノーム』の最終巻は主人公と真唯が結ばれる結末に書き変えられ、詩羽先輩の気持ちは倫也に伝わることもなく、彼女は「一度目の失恋」を経験することになりました...。(※「倫理」という呼び名は、この時の「倫也の選択」に対する皮肉的意味合いも込められています。)
◇二度目の失恋
その後、倫也たちのサークルが手掛けた同人ゲーム――『cherry blessing』のシナリオライターを務めることになった彼女。
ここでも詩羽先輩は、加藤さんをモチーフとしたメインヒロインの『叶巡璃(かのう めぐり)』ルートとは別に、『恋するメトロノーム』の沙由香と同様に自身をモチーフとした『丙瑠璃(ひのえ るり)』ルート(第二稿)を提示し、どちらをメインのルートに据えるのか、その選択を倫也に迫ります。
しかし、当の倫也はなおも彼女の「真意(=告白)」に気付くことができず、全く違った解釈で彼女の提案にリテイクを出し、全員が幸せに成る完全無欠ご都合主義な「第三のルート」を提示。
そして、この二度の「失恋」を経た後、詩羽先輩は『フィールズ・クロニクルXIII』のシナリオ担当として声が掛かり、「クリエイター」として倫也の元を離れる決断をすることになりました.....。
こうして振り返ってみても分かる通り、詩羽先輩と倫也の間柄が、『作家とそのファン』・『クリエイターとディレクター』という関係値の中で描かれてきたことが読み取れます。
遠まわしに「霞ヶ丘詩羽からの告白」を作品の中に込めようとも、倫也はそれを『霞詩子の作品』としてしか捉えていない。これは倫也が彼女の事を尊敬するクリエイターとして見上げていることの証左でした。
『霞詩子』に特別な感情を抱き、こだわり、固執するからこそ、倫也は『霞ヶ丘詩羽』を恋愛的に選ぶことができない。
それでも、遠まわしな表現しかできずに気持ちを伝えきれなかった先輩がその想いを倫也に伝えていく様子が原作では描かれており、今回の映画においても
彼は間違いなく わたしたちに恋をしていた
と力強く語り、泣きじゃくる英梨々を支えている。それは、彼女がきちんと「失恋」を乗り越えて、確かな「強さ」を手に入れていったことの証と言えるのではないかなと個人的にはそんな印象を抱いた次第でした。
澤村・スペンサー・英梨々の「選択」と「成長」
倫也の大切な『幼なじみ』であり、原作小説1巻の表紙を飾ってもいる英梨々は、『普通のメインヒロイン』である加藤さんの対比的立ち位置にいるヒロインとして描かれてきました。
倫也自身が「あの頃の俺には英梨々だけだった」と述べていたように、倫也にとって彼女は間違いなく『初恋の女の子』。英梨々が倫也のメインヒロインになるルートも確かに存在していたと言われているのは、ひとえにこの『初恋』という要素が大きな理由となっていることでしょう。
しかし、幼き日の蟠りを解消し恙なく幼なじみルートを歩んでいたようにも見えた2人の関係に決定的な障害が生まれてしまいます。
あたし、倫也がそばにいると描けない…
倫也もあたしに描かせることができない…サークルにいたままじゃ、今より前に進めない
倫也が求めてる凄いイラストレーターに、なれないよおぉ...
という残酷な事実を、最強のクリエイター・紅坂朱音との出会いを通じて痛感してしまった英梨々。
クリエイターとしての柏木エリか、幼なじみとしての澤村・スペンサー・英梨々か。どちらの生き方も選択出来たなかで、彼女の気持ちが指し示したルートは「倫也にとっての一番のイラストレーターになる」道でした。
「分岐点」という意味では、この選択こそが彼女の存在を「初恋相手である幼なじみ」(那須高原に英梨々を迎えに行った時の倫也は英梨々のことを一人の女の子として認識していたと思われます)から「前を走るクリエイター」に変えていったと言えそうですが、最終的に英梨々の「成長」を表現する重要なポイントは、「倫也がいても描けるようになったこと」。これに尽きるんですよね。
自分の気持ちに区切りをつけたことで、クリエイターとしての『柏木エリ』と幼なじみとしての『澤村・スペンサー・英梨々』に乖離がなくなった。だからこそ、倫也が側にいても彼女はきちんと描くことができる。恋に敗れても彼女はクリエイターとして『成長』し、永遠に倫也の『特別(=一番のイラストレーター)』で在り続けることができる。
10年前、あたしのこと、好きだった~?
という台詞と共に精一杯の笑顔が向けられたあの一幕は、『過去』を『過去』としてけじめをつけた彼女の「成長」の表れであり、『隣を歩く幼なじみ』としてではなく、『前を走り続けるクリエイター』になる覚悟を決めたことの象徴でもある。
だからこそ、今回の映画最大級の泣き所でありながら、これ以上ない最高の幕引きであると沢山の人が感じたのではないか。個人的にはそのように解釈をしております。
「普通」だからこそ「理想的な」加藤恵の魅力
『普通の女の子』であったがゆえに、安芸倫也のメインヒロインたりえた加藤恵。
正直、彼女に関しては前回の感想記事で色々と書き切っているのであまり補足することもないのですが、彼女の心情を追っていくにあたって重要なポイントとなるのはやはり、
加藤ちゃんとトモには『ドラマ』がないんだよ
という美智留の台詞をきっかけに、彼女の想いが溢れていくところですよね。
『幼なじみ』である英梨々、『崇拝する作家』である詩羽、『従姉妹』という生まれながらの特別選手である美智留。倫也の周りにいるヒロインたちは、全員が全員、彼と特別な『ドラマ』を背景に持った女の子たちでした。
でも、加藤さんにはそれがない。特別な技能に秀でているわけでもなく、ただ坂道で偶然出会って『メインヒロイン』役に抜擢されただけの自分。そこに彼女の葛藤と悔しさがあったわけです。
倫也くんは....私のだよ...
と語りながら涙を流す彼女の姿はまさにその象徴で。
だからこそ、今回の最終章で描かれていた『転』のパートが彼と彼女を『特別』な間柄へと押し上げる『ドラマ』として描かれ、一度すれ違って離れ離れになることで、お互いがお互いの気持ちを自覚していく。
安芸倫也は、同じ歩幅で一緒に歩いて行けるヒロインとして『普通の女の子である加藤恵』に惹かれました。
二次元にある理想ではなく、現実の中にある自分だけの理想を加藤恵というヒロインの存在に見出すことができたから。背伸びせずに自分を曝け出せる女の子が彼女だけだったから。そういう意味で、倫也が加藤さんを『パートナー』(=『ライバル』との対義語)』として選んだことには"必然性"があったと言えるでしょう。
一方の加藤さんはそんな倫也の気持ちに『合格だよ』と告げ、『普通』であったがゆえに倫也の『一番大事な人』になれた自分を受け容れました。
『普通』だから恵を好きになったという倫也の告白が、(一見して根拠薄弱に見えても)彼女にとってはこれ以上ないくらいベストな回答だったから。『普通』であることに葛藤を抱いていた自分に、『普通だから』好きなんだという想いを打ち明けてくれたから。
この観点において、2人の想い・望んでいるものが運命的なレベルで一致していることがわかります。だからこそ、彼と彼女は一緒に歩いて行ける。「ないもの同士」手を取り合いながら、天才クリエイターたちの背中を追いかけてあの坂道をのぼっていける。
始まりの坂道を駆け上がりながら
「あなただけのメインヒロインになれたかな?」
と笑顔で振り返る彼女の姿には、そういった未来に対する『誓い』や『覚悟』が表現されていたのかもしれない。あそこでエンドロールが流れる神演出も鳥肌ものでしたし、最高の結末を最高の形で映画化してくださったことについて、加藤さん派として今一度感謝の言葉を書き残しておきたいと思います。
最高の結末を本当にありがとうございました。
まとめ:「クリエイター」としての倫也の成長
さて。恋愛パートについて色々と書いてきましたが、最後に少しだけ余談的に「クリエイター・ディレクター」としての倫也の成長について個人的な所見を。
今回、英梨々と詩羽先輩の「夢」を守るために紅坂朱音の代役を引き受けることになった倫也ですが、ここで重要なポイントとなるのが、
『情熱では"会社"は動かない。
でも、情熱がないと"人"は動かない』
という視点を町田さんから教わっていたことです。
当たり前なお話、情熱だけで突っ走ることのできる『同人作品』(=アマチュア)とたくさんの人が協賛して利益を生み出さなければならない『商業作品』(=プロ)とでは、その性質が全く異なりますよね。
~ディレクターとしての在り方~
①圧倒的な実績を盾に自分の『情熱』を行使した紅坂朱音
②予算や納期などの状況から『冷静』な判断ができる伊織と町田さん
③『情熱』を最強の武器にひたすら理想を追い求めてきた倫也
これまでの倫也は基本的に③のアマチュア的スタンスで作品作りをしてきました。そんな彼が、譲れない『情熱』を確り胸に据えたまま、②の視点(=これは英梨々の台詞「あんた、波島の影響受けてるわよね」に繋がります)を取り入れてプロの現場を体験する。
これは、たとえ代役であろうとも、「クリエイター」として、そして「プロ」としての第一歩です。ゆえに、恋物語において『転』のパートを担ったその選択は、安芸倫也の成長と未来の『blessing software』の成功に繋がっていく分岐点でもあったのかもしれません。
選択が選択を呼び、どこまでも「夢」と「恋」の両軸を有機的に描き切ってくれた名作ラブコメとしての『冴えカノ』。最後の最後まで映画館のスクリーンで楽しみ尽くしたいと思います。
※本記事にて掲載されている情報媒体は「丸戸史明・深崎暮人・KADOKAWA ファンタジア文庫刊/映画も冴えない製作委員会」より引用しております。